憂鬱な日曜日

日曜日の夕方です。

日曜日の夕方といえば『笑点』ですが、この時間になると憂鬱な方は少なくないのではないでしょうか。

土日もお仕事で平日がお休みの方もいらっしゃると思いますが、土日がお休みの方も多いことでしょう。

 

日曜日の夕方は憂鬱ではないでしょうか。

明日から仕事だと思うと、日曜日の夕方は最高に憂鬱です。

 

私は学生の頃、高校生まではそうでした。

笑点』のオープニングテーマを聞くと、明日から学校かと憂鬱な気持ちになっていました。

軽妙なオープニングを聞きながら、次の日から始まる学校のことを思い、憂鬱な気持ちになっていたものでした。

 

また、日曜日の夕方といえば、我が家の食卓のメニューはジンギスカンでした。

ジンギスカンは北海道を代表する味覚ですが、札幌生まれの札幌育ちの私の家庭では、日曜日の夕食はジンギスカンを食べることが多かったのです。

 

ジンギスカンに舌鼓を打ちながらも、次の日から始まる学校のことを考えると憂鬱になるという、複雑な心境でしたね。

 

そう考えると、日曜日の夕方から夜にかけての時間帯に放送されるテレビ番組のテーマソングを聞くと、今でも学生の頃の日曜日の夕方、次の日から始まる学校のことを思って感じた憂鬱な気持ちが蘇ってくるようです。

 

日曜日の夕方、夜といえば思い出されるのは、私が小学生の頃のことです。

一時期、私たち家族は札幌を離れ、北海道の地方都市に住んでいたことがあるのですが、父だけが札幌に住み、私、弟、母が地方都市に住んでいた時期もありました。

 

父は週末になると札幌を離れ、私たちが住む地方都市に帰ってきていましたが、日曜日の夕方になると職場がある札幌に戻っていました。

その頃の父の思いも、日曜日の夕方に感じる憂鬱な気持ちだったに違いありません。

 

しかし、私は大学生になると、日曜日は憂鬱ではなくなりました。

月曜日に講義があっても、お昼ころに大学に行けばよかったり、学年が上がると週休三日くらいにもできたりと、日曜日が必ずしも憂鬱であるとは限らなくなりました。

 

ただ、それも大学生の間だけのことで、就職すると日曜日の夕方はやはり憂鬱でしたね。

就職した会社では週休二日で土日が休日でしたから、楽しい楽しい土日を過ごして、月曜日から仕事が始まると思うと気持ちは晴れませんでした。

 

学生のうちは自由でも、働くようになるとそうもいかず、憂鬱な日曜日が復活しました。

 

就職するとストレスも感じるようになり、週末は天国でも平日はそうもいかない。

社会人として働くようになると、ほぼ全ての人がそうだと思います。

 

日曜日の夕方に感じる、何とも言えない気持ち。

そこで時間が止まってほしい。ずっと日曜日であってほしい。去り行く日曜日が名残惜しくて仕方ない気持ち。

楽しい時間が終わりそうな時、それに対する名残惜しい気持ちは多くの方に共通な感情でしょう。

 

今日もまた一つ日曜日が終わりそうです。

 

古典文学とインド哲学

昨日、このブログを書こうと思っていましたが、晩ごはんの後うたた寝をしてしまい書けませんでした。

基本的に毎日書こうと思っているので、不覚でした。

 

今日は昨日書こうと思っていた内容を書きます。

 

一昨日、英語の勉強について書きましたが、その中で日本語の美しさ、特に古典文学の美しさについて触れました。

私は古典文学が大好きです。

その影響を強く受けて、大学ではインド哲学を学ぼうと思いました。

 

インド哲学とは何か?

この学問を志す学生や研究者の間では知られていますが、一般的には知名度は高いとは言えません。

 

インド哲学とは、古代からのインドの思想、神話、宗教などを学び研究する学問です。

私は特に仏教の教えに魅せられ、卒業論文も仏教についてまとめました。

 

インド哲学を活かして職業に就くことは、研究者など以外では難しいので、卒業生の多くは一般的な就職をします。

私も卒業後は一般の民間企業に就職しました。

 

今日のテーマ、古典文学とインド哲学との関わりについてですが、高校生の頃に古典文学に魅せられたことがインド哲学を学ぶきっかけでした。

 

私は大学入試では共通一次試験の世代です。

育った家庭が貧しく、進学する大学について私立という選択肢はありませんでした。

 

そこで、国公立を目指す必要があった訳ですが、国公立大学を目指すなら共通一次試験対策として、国語は古典も学ぶ必要があったのです。

 

高校に入学した当初は医学部を志望していたのですが、国公立大学しか選択肢がなかったので、古典も力を入れて勉強していました。

そこで古典文学の美しさ、面白さに魅せられたのです。

 

特に強く影響を受けたのが、平家物語でした。

冒頭部分の表現、全てのものは無常であるというところに強く惹かれたのです。

他にも多くの古典文学で描かれる無常観に惹かれ、このような思想を深く学ぶにはどんな学問があるのか、真剣に探したところインド哲学に行き着きましたね。

 

全てものは移り変わるものであり、人間は驕り高ぶっていても必ず消え去る小さな存在である。

如何に隆盛を極めても、それは仮初めのものであり、消え去ることのない本質を捉えることが大切である。

 

古典文学に描かれるこのような無常観を深く学ぶにはどうしたら良いか、考えてみました。

それは仏教思想にルーツがあり、仏教思想を含めた本質を学べる学問にはインド哲学という学問がある。

このような結論に至り、それまで目指していた医学部には進まず、文学部に進むことにしたのです。

 

私のインド哲学のルーツは仏教思想の無常観です。

 

もちろん、仏教思想や無常観だけがインド哲学が扱う領域ではありません。

上記のように、インド哲学が扱う領域は多岐にわたります。

古代からの神話や思想、宗教など、数多くの文献や資料を読み考察することで理解を深め、最終的には自分のテーマを決めて卒論を仕上げる。

 

インド哲学の課程に在籍し、共に学んだ仲間たちはそれぞれのテーマを持ち学んでいました。

私は入り口が古典文学、仏教の無常観で、出口となる卒論も仏教の視点でまとめました。

 

このように、私にとっては古典文学との出会いが、人生を変えたと言っても過言ではありません。

高校に進学した当初は医学部を志望していたものの、古典文学との出会いで文学部でインド哲学を学ぼうと転向した。

このことについて悔いは全くありません。

 

医学を学んで医師への道に進んだとしても、倫理の問題からは離れられなかったことでしょう。

その倫理を考えるうえで、やはり宗教や様々な思想は学ぶ必要があります。

 

根本的な倫理や道徳など、その基本を学べるのがインド哲学でもあります。

 

古典文学に影響され、インド哲学の道に進み、いろいろな思想や神話、宗教について学んだことは今でも私の財産になっています。

 

 

 

 

英語の勉強

最近、ある作業をすることがあります。

昔、少しだけ勉強していたことがあり、それを辞めたくなったので手続きの書類を作ったり。作業に時間がかかることもあるのです。

英語の書類が送られてきたりして、内容を読んで確認するのに時間がかかります。

 

私は英語は得意な方です。

今度はいつ行けるかわからなくなってしまいましたが、以前はよく海外に一人で行っていました。

ツアーではなく個人的に手配して行くので、予約の時点から英語との格闘が始まります。

それでも、一人でぶらりと行っても困らないので、おそらく私の英語は現地の方にも通じているのでしょう。

英語の読み書きは受験勉強を通じて学び、聞いたり話したりは外国人の先生に教わりました。

 

最終的に入学した大学の学部は文学部でしたから、入試でも入学後も英語の勉強からは離れられず、読むのは今でも得意です。

大学生の頃は英語で小説も読んでいましたから、学生時代にやれるだけのことはやり、それは今の私の財産になっています。

 

聞いたり話したりは、大学生の頃にアメリカ人の先生、イギリス人の先生に会話を教わったので、質のいい英語に触れることができました。

 

いずれも学生時代に取り組んだことであり、若いうちに身に付けたことはなかなか忘れませんから、私の財産になっています。

 

私が英語を本格的に学び始めたのは、中学校に入学してからのことです。

今は小さな頃から英語を学ぶお子さんも増えましたが、私が子どもの頃は学校以外で英語を学ぶ生徒は今ほど多くいませんでした。

 

中学校に入って初めて英語を学んだような私でも、大人になって英語で困ることはないので、私は個人的には小さい頃から英語を学ばせることには懐疑的です。

 

英語を含めた外国語の習得には、母国語をしっかり学び、正しく身に付けることが必要だと思うのです。

 

受験英語に対する否定的な見解にも、私は懐疑的です。

 

正しく聞く、話す、読む、書くという外国語の習得のためには、文法や単語を地道に学ぶことが必要だと考えるからです。

 

受験英語であろうが、自分の学び方、学ぶ姿勢が大切だと思うのです。

私は受験英語で身に付けた文法や単語の知識を基に、聞いたり話したりしています。

 

ですから、小さな頃から学ぶことも良いのでしょうが、それが必ずしも英語が”喋れる”ようになる条件ではないと考えています。

 

私にとっては、受験英語で長い文章を読んだり、逆に日本語を英語の文にしたりという勉強がそのまま聞くことと話すことへの応用でした。

 

外国語を学ぶためには、母国語をしっかり学ばなければなりません。

受験の問題を解くのも、実践で外国人と話すのも、何を要求されているかを把握しなければ正しい英語は出てきません。

 

正しい英語のためには正しい日本語が必要なのです。

 

日本語は地球上でも難しい方に入ると思います。

英語の方が日本語より簡単だなというのが、私の個人的な感覚です。

 

例えば、外国でしつこくつきまとわれそうになった時、大きな声で日本語で言い返したりとかです。

大抵はビックリしたような反応が返ってくるので、その隙にスタコラサッサと逃げたりします。

 

このことは、日本語の難しさとはあまり関係はなさそうですが、日本語の発音やイントネーションに慣れている人が、日本以外にはあまりいないことを意味しているとは思います。

 

私は日本語が大好きです。

受験勉強をしていた頃、英語ももちろん勉強していましたが、一番好きだった科目が古典でした。

日本の古典文学は素晴らしいです。

古典文学を学んだことで、大学ではインド哲学を学んだほどです。

 

古典文学とインド哲学の関係については、また違う機会に書きたいと思いますが、古典文学には日本語の美しさがあります。

 

古来からの美しい日本語を学ぶことが、英語を学ぶことにも通じています。

 

 

 

 

今夜のCome on!ALFEE!!ALFEE王決定戦について

今夜のCome on!ALFEE!!も終わりましたね。

いつものことですが、今日も楽しませてもらいました。

 

クイズの合間に歌なのか、歌の合間にクイズなのか。

いずれにせよ、楽しめました。

 

クイズはそんなに難しくなかったと思いませんか?

私もパソコンの前で真剣に考えていました。

 

これまでのCome on!ALFEE!!は、過去のライブをみんなで見るという企画が多かったので、趣向を変えての企画は楽しかったですね。

 

今はリアルなライブはできない状況ですが、THE ALFEEのライブではコントの時間が”お約束”です。

その流れで今回は趣向を変え、クイズ形式で楽しませてくれたのでしょう。

 

歌って良し、コントも良し、ついでにクイズも良し。

THE ALFEEの魅力は、このような多面体で切り口が多く、どの面を見ても楽しめるところにあるのでしょう。

多面体で、どこから切っても美味しい。

これがTHE ALFEEの魅力です。

 

ですから、私を含めて長年に渡りファンを続けている方も多いですよね。

女性の方なら、結婚、出産を経て出戻りする方も少なくありません。

私は離婚経験者で自分の子どもはいないので、基本的にはノンストップで走り続けてきました。

何年間か結婚していた頃はライトな活動でしたが、ほぼノンストップで走ってきました。

 

私にとってのTHE ALFEEとは、好きとかファンとかだけではなく、人生そのものです。

こういう方も少なくないのではないでしょうか。

 

THE ALFEEの歌の世界観は、人生への応援歌です。

最初に出会った頃は10代だった私の人生に多大なる影響を及ぼしています。

今、50代ですが、それは変わりません。

どの歌も時の経過を感じさせず、色あせないですよね。

 

このように真面目に考えていたかと思うと、コントやクイズで笑わせてくれる。

このギャップもTHE ALFEEの魅力ですね。

 

コントやクイズで笑わせてくれますが、THE ALFEEのメンバーはかなり真面目な人ですよね。

 

無理をしてリアルなライブを強行したりはしないところに、その真面目さが表れています。

感染の状況が落ち着くまでは、リアルなライブを強行すべきではありません。

ライブを強行せず、配信企画を届けてくれることは、集まろうとするファンを思いやる大英断ではありませんか。

 

逆にライブを強行しようとするならば、強行しなければならないほどお金にでも困っているのか、或いは、集まろうとするお客も我慢ができず待つことができない、そのような我が儘な者しかいないのか。

そんな風に考えられないこともないですね。

THE ALFEEはどちらも当てはまりません。

 

もちろん、お金に困っている訳ではないでしょうし、全てのファンが感染の状況が収束するまで待っていられるはずです。

THE ALFEEには、そういう賢いファンしかいませんし、メンバーも賢いのです。

賢くなければ47年間、音楽の世界で通用しないでしょう。

 

何事も継続は力なりであり、最後に笑う者が最もよく笑うのです。

今は辛抱が必要な時ですが、やるべき時にやるべきことをせず、欲望を垂れ流す者に明日はありません。

 

THE ALFEEは私にとって人生そのものであり、それはこれからも続いていきます。

時には真面目に、時には面白おかしく。

THE ALFEEはエンターテイメントの多面体ですが、根底にあるのは知恵と節度と愛と勇気と夢と希望と……。

根底にあるものも多面体で数えればきりがありません。

 

趣向を変えた今夜の企画は、本当に楽しめました。

次回もアル中全員が、パソコンやスマホの前に全員集合しようではありませんか。

 

ギャップで困る

今日は昨日の続きのような話になります。

自閉症スペクトラム障害の影響なのか、私はとにかく周囲とのギャップで悩むことが多いです。

自閉症スペクトラム障害発達障害の一種らしいですが、発達障害を抱えている方は、私のような悩みがあるのでしょうか。

 

私は今は仕事をしていませんが、去年までは働いていました。

しかし、そこも契約は終了しています。

契約が終了した理由は、業務がこなせないからです。

 

指示されたことができない。

指示を出す方とそれを受ける私の間で、認識のずれ、ギャップが生じることで私は業務がこなせず、よって契約は途中で終了になったのです。

 

指示されても、それを出す方との認識のずれがある。

今通っている病院の主治医は、自閉症スペクトラム障害の影響が出ていると判断しているようです。

 

私が自分のこだわりが強く、自分のペースを優先させがちなことが原因らしいのですが、一般的な認識と自分の認識のずれは私に特有な特性らしいです。

 

自閉症スペクトラム障害発達障害は一種の脳機能障害らしいので、私の認知と周囲との認知がずれていても不思議ではないですね。

 

一般的な認識とのずれがあることで、私は自分の認識に自信が持てない時もあります。

私は正しいと認識していても、周囲にいる人たちの認識が私と違っていたら、何か大きな間違いや失敗をしてしまっているのではないかと不安になることも少なくありません。

 

精神障害精神疾患を抱えていて困るのは、こういうことです。

自分の認識と周囲の認識にずれ、ギャップが生じる。

周囲との認識とずれがあれば、日常生活や仕事をするうえで困ることもあります。

 

私は認識のずれ、ギャップがあることで大きな失敗をしてしまうのではないかと不安が強く、そういうことから何度も確認しないと気が済まない、強迫性障害の傾向も強くなっています。

 

自閉症スペクトラム障害の影響を受けて、強迫性障害が悪化するという状態にハマっていますね。

主治医も心配して、不安を和らげる薬を処方してくれているのですが、なかなか不安は収まりません。

 

根本的な認識が周囲とずれている。ギャップがある。

このことで仕事に就くことも難しいですし、日常のなんでもないことに不安を感じたりと、日常生活にも不自由があります。

 

人間は心身のどこに不自由があっても、生活するうえで困ることがあります。

仕事に就くことが難しかったり、些細なことで不安になったり、人間関係がうまく築けなかったり。

 

そこで医療や福祉のお世話になるのですが、精神の問題は体の疾患以上に長い年月にわたって、医療や福祉を利用しなければならなかったりします。

私も20年以上に渡ってお世話になっています。

 

些細なことが気になるのは、元の性格も影響しているようなので、自分自身とうまく付き合うようにしていきたいとは思うのですが、なかなかそうもいきません。

 

周囲とのギャップ、自分自身とのギャップ、困りごとは多いですが、進むことを止める訳にもいきませんから、七転び八起きならぬ七転び九起きになれるよう努めていきたいですね。

 

仕事を転々として

精神の問題を抱えていると、仕事に就けないなど不都合が生じます。

私はとにかく仕事が長続きしませんでした。

サボっているとか、不真面目ではないのですが、今まで就いた仕事は長続きしませんでした。

 

その理由はわからず、自分でも困っていたのですが、最近になってわかりましたね。

再三、書いている私の障害、自閉症スペクトラム障害が仕事が長続きしない理由のようです。

 

今通っている病院の主治医によれば、仕事が長続きしないのは、私の障害による特性のようです。

長年わからなかったことが、自閉症スペクトラム障害が診断されたことでわかりましたね。

 

精神障害精神疾患を抱えていると、周囲に合わせるのが難しかったり、体調が悪いことが多かったり、一般的な仕事をするうえで困難が多いです。

私以外にも、こういう方は少なくないのではないでしょうか。

 

昨日、書いたテーマでも言えることですが、無理せず自分に合ったことをしていくしかありません。

私も一般的な就労は難しいので、仕事に就くとしても就労継続支援の職場などで探すことになりそうです。

 

今までは自分の障害に気付かなかったので、なぜ仕事が長続きしないかわからず困っていました。

 

大学を卒業して就職した会社を9ヶ月で退職したり、かなり以前に精神疾患から立ち直る過程で就いた仕事も長続きしませんでした。

続いても3ヶ月程度だったり、面接しても決まらなかったりなど仕事に就くうえで困難がありました。

 

主治医とも相談することが多いのですが、仕事が長続きしないのは、そもそも判断に誤りがあるのではないかということです。

仕事に就く際、自分の適性や仕事に求められるものを判断する力が欠けている。

よって、就いた仕事とのギャップが生じて長続きしない。

 

自分の適性が見極められなかったり、仕事に就いても求められるものに合わせられなかったり。

これらのことは、自閉症スペクトラム障害の影響ではないかと、主治医は判断しているようです。

 

仕事に求められているものに合わせられない、大学まで出ているのに簡単なことができない。

仕事に就くと、私のこういうところが周囲とのギャップとなって表れてしまいますが、周囲と合わせられないのが私の障害の最も顕著な特性です。

 

自閉症スペクトラム障害があることで、周囲と合わせられない。

こだわりが強かったり、自分の関心を優先させがちだったりする影響が表れているらしいですね。

 

では、これからどうすれば良いのでしょうか。

 

精神の問題で疾患や障害は、つき合っていくものです。

つき合いながら、できる範囲でできることをするしかないです。

 

それでも、悲観はしていません。

自閉症スペクトラム障害が診断された検査結果によれば、私の適職は学者か芸術家だそうです。

適職だと言われても簡単には就けない仕事ですが、これに近いことならできるかも知れません。

それとも、違う可能性があるのかも知れません。

 

自分を正しく知ることで、道は開けるものです。

自閉症スペクトラム障害があると診断されたことで、仕事が長続きしなかった原因がわかりました。

 

今まで仕事が長続きせず様々な職業を転々としてきましたが、その原因がわかれば対策を立てることができます。

対策を立てれば、向かうべき方向が見えてきます。

向かうべき方向が見えれば、どこをゴールとすれば良いかも判断できます。

 

このようにして道を進んで行けば、良い結果も得られるでしょう。

障害があっても、着実に進んで行けるよう努めたいものです。

 

 

 

精神障害者のステップアップ

今日はブログを書く時間が遅くなってしまいました。

日中、眠くなりうたた寝をしていたらアッという間に日が沈んでいました。

 

書く時間が遅くなっても、ブログを書くのは止められません。

私にとっての自己表現であり、将来の自立に向けてのトレーニングにも繋がるからです。

 

再三、書いていますが、私には自閉症スペクトラム障害があり、最近は精神疾患が悪化しがちです。

今は仕事はしておらず、利用できる福祉のサービスを利用して生きていこうと考えています。

 

しかし、それでも何か自分に対する投資はしておきたいのです。

仕事をしておらず、障害があり疾患の治療をしていると、家に閉じこもりがちになりますが、その時間を使ってブログをはじめとする文章を書く練習をしています。

 

謂わば、精神障害を抱えている者にとってのステップアップを目指す活動の一環ですね。

ステップアップのために何をするかは、人それぞれだと思います。

自分が得意なこと、好きなことを選ぶといいですよね。

私にとっては、ステップアップのためにやりたいことが、文章を書くことなのです。

 

文章を書くことで、将来、お金が稼げるようになると良いと考えていますし、それが私の目標でもあります。

特に文章を書くことは年齢に関係なくできますし、年齢が高くなっても、年齢が高くなるからこそ、若い頃には書けなかったものが書けるようになったりします。

 

精神障害があっても、精神疾患を治療していても、ステップアップのために何かはしていきたいですよね。

その方が生活に張りも出ますし、気分が塞ぎ込みがちな時は気晴らしにもなります。

 

私も精神疾患を治療して20年以上経ちますので、今までいろいろなことを試してきました。

初めて治療を受け始めた頃はまだ結婚していたので、元夫に頼ってばかりいましたが、離婚してからは一人で進んできました。

散歩をするなど体を動かしたり、仕事ができる時は仕事をしたり。

 

何でもいいのです。その時、自分ができることを自分のペースで取り組む。

マイペースが精神の問題を抱える者にとって、一番望ましい行動パターンではないでしょうか。

 

治療が必要なら治療を受ける、利用できる福祉のサービスがあれば利用する。

そのうえで自分が得意なこと、好きなことに取り組み、続けていく。

先ずはそこから始めていこうと考えています。

 

継続は力なりですから、細々とながらも地道に続け、いつかは自立できればいいですね。

それまでは無理せず、マイペースです。

急がば回れとも言うように、ゆっくり進む方が得だったりします。

私も精神障害がある者として、着実に進んで行きたいです。