ドカ雪襲来

本編の前にご案内です。

この「とまとの呟き」の姉妹版で小説を書いています。

タイトルは『アンドロイドの楽園』といいます。

下のバナーをクリックで小説のページに飛べますよ。

よろしくお願いします。

tomatoma-tomato77.hatenablog.jp

いやはや、大変です。

札幌、北海道はドカ雪の襲来を受けています。

 

私は札幌に住んでいますが、札幌市内も雪が多いですね。

札幌は都市部なので比較的雪は少ない方だと思いますが、地方に行くともっと大変でしょうね。

 

今の私はマンション住まいですが、元夫と結婚していた頃は一軒家に住んでいました。

この頃は雪かきは専業主婦をしていた私の仕事で、雪が積もるたびに雪かきに精を出していたものです。

雪が多い時は、2時間くらいかかるのも当たり前。

汗だくになっていました。

真冬の寒い時期でも汗だくになりますから、雪かきが如何に過酷なものか想像して頂けると思います。

 

そういえば、東京で雪が降るとなぜかニュースになりますよね。

東京、大雪!

 

そう聞いてテレビのニュースの画面を見ても、私は拍子抜けしてしまいます。

それは、積雪ではなく小雪が舞うと言うのですよ。

雪が積もるというより、うっすら雪化粧と言うのですよ。

そんなことを考えながら、東京の雪のニュースを見ていますね。

 

東京の雪といえば、元夫は仕事の都合で東京にいたことがありました。

まだ、お互い独身の頃で、元夫は会社の独身寮に住んでいたんですよね。

 

ある時、東京に雪が降ったことがあったそうです。

その時、元夫は革ジャンに半袖のTシャツ姿で出かけようとしました。

周りの方は、元夫が北海道出身であることを知っていて「痩せ我慢するな」と声をかけたそうです。

 

元夫は私と同じ北海道出身です。

周りの方がそう言っても、元夫は本当に寒く感じてはおらず、革ジャンさえ着れば半袖Tシャツで十分だったんですよね。

それに、雪は積もったうちには入らない。

ブーツを履くでもなく、元夫はスタスタ歩いていたら周りの方にビックリされたとか、私に教えてくれました。

 

そうなんですよね、北海道出身者にとっては東京の雪はまだまだヌルいのです。

雪かき2時間。このくらいでなければなりません。

 

去年から今年にかけて雪が降るのが遅く気になっていましたが、シーズンごとに雪が降る量は一定ですから、遅くなってから雪が積もると帳尻を合わせるようにドカ雪になるんですよね。

少しずつ積もればいいのですが、雪が遅い年は帳尻を合わせるかのようにドカ雪になりがちです。

 

それでも、私は雪が好きですね。

幼い頃は雪の中を転げ回って遊びましたし、真っ白な街は美しいです。

 

2月にかけてが雪のピークですから、まだまだ降りそうです。

冬は冬らしく、雪すら楽しむ気持ちを持ち続けたいですね。

 

子宮頸がんの経過観察、病院に行ってきました

本編の前にご案内です。

この「とまとの呟き」の姉妹版で小説を書いています。

タイトルは『アンドロイドの楽園』といいます。

下のバナーをクリックで小説のページに飛べますよ。

よろしくお願いします。

tomatoma-tomato77.hatenablog.jp

今日は病院に行ってきました。

子宮頸がん後の経過観察のため、検査を受けました。

 

私は3ヶ月ごとに細胞を採取され検査を受けています。

今のところは高度異形成というグレーゾーンですね。

全くの良性をホワイト、癌をブラックとすると、その間、前がん状態のままもう4年ほどが経っています。

 

子宮頸がんの手術を受けたのはもう10年くらい前のことですが、4年くらい前から高度異形成で常に観察が必要です。

今までも、治療しようかという話もあったのですが、治療も体に負担がかかります。

そういう訳で、まだ治療はしていませんが、かと言って放置もできないという中途半端な状態のままですね。

 

とは言え、癌として再発した訳ではありませんから、そう恐れてもいません。

3ヶ月に一度、検査を受けることで健康チェックになっている。

そう考えることにしています。

 

癌は早期発見、早期治療が大切ですね。

私もそれで、今のところ生きています。

 

子宮がんって、今の私のような前がん状態、異形成の段階で治療ができる場合もあるんですよね。

早期なら子宮を残して出産も可能な場合もあるようです。

 

私も癌と判定され、手術するまでに1年かかりましたね。

毎年、子宮がん検診を受けていて、お世話になっていたクリニックの先生が細胞の異常を見つけてくれました。

 

しかし、癌なのかどうか、疑わしいとのことで1年間、毎月検査をしましたね。

女性の方はわかると思うのですが、子宮頸がんの検査はそう痛くありませんが、子宮体がんの検査って痛いんですよね。

私は、癌が疑われるということになり、毎月、子宮体がんの検査も受けていました。

毎月、痛い思いをしていたのです。

 

そうして1年間、経過を見て、結論はやはり癌、子宮頸がんで手術が必要との判断を頂きました。

その後は手術ができる病院に移って、子宮は全摘しましたね。

 

不思議なのは、子宮頸がんが確定しても何ら恐怖は感じなかったことです。

1年間、経過を見てくれた先生も、手術を担当してくれた先生も、手術で治せると言って下さったので大船に乗ったつもりで手術を受けて回復したのです。

 

今の方が、たまにですが先々のことが心配になる時もあります。

癌ではないけれども、良性でもない。

この中途半端さが悩むところですね。

 

今は大学病院で経過観察してもらっています。

さすが大学病院、私は全幅の信頼を寄せています。

 

高度異形成の状態で治療をするということは、割とよくある話らしいのですが、今のところ私は治療が必要とは言われていません。

担当医の話を聞くと、採取した細胞をしっかり調べて、その上で治療が必要かどうか判断しているようです。

 

さて、今日の検査の結果は3週間後に出ます。

今回の結果はどう出るか?

治療になるのか、それとも、経過観察のまま進むのか?

 

どうあっても、すぐ死ぬ訳ではないでしょうから、しっかり取り組んでいきたいですね。

 

疲れたので適当に

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。

復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。

~ここから本編~

疲れました。

今日は適当に書きます。

普段は、だいたい1100~1300字以内に収まるよう計算しながら書いていますが、今日はどうでもいいですね。

と言いつつ、書くんかーい?!

書きます。

 

今日は遠くのスーパー銭湯に行ったので疲れました。

札幌の北のはずれ、お隣街の石狩市の手前まで行ってきました。

 

何事も挑戦です。

元気なようですが、確実に療養中の私にとって、ちょっと遠くに行くのは冒険なのです。

という訳で、遠いスーパー銭湯に行ってきました。

スーパー銭湯というより、スパですね。

ホテルの中にある施設で、プールと温泉があるところに行ってきました。

 

温泉自体は楽しめたのですが、移動が辛かった。

今の札幌は雪が積もり、渋滞しがちです。

地元の人間ならわかるのですが、この時期に札幌の北部に向かうのは暴挙に等しいです。

札幌の北の方って雪も多いですし、地下鉄も途中までしか通ってないんですよね。

 

ひたすら送迎バスで移動し、雪道で渋滞に巻き込まれたらドッと疲れました。

とはいえ、自分が好きで行動しているんですけれども。

いや、札幌市北区の雪道、渋滞はエグいですよ。

ここで”エグい”を使って合っているのかどうか、よくわかりませんが。

 

それでも、今日は行って良かったです。

もう何年ぶりかで行きましたから、懐かしかったですね。

元夫とまだ付き合っていた頃、二人で行っていましたし、結婚してからも私は専業主婦だったので一人で行ったりもしていたのです。

 

内装は変わったのか、変わっていないのか。

それがわからないほど、昔の記憶はぼんやりしたものになっていました。

変わったといえば変わったのかも知れないけれど、元々どうだったっけ?

そんな感じでしたね。

 

明日は、子宮頸がん後の経過観察で検査を受けに行かなきゃならないんですよね。

変な話、きれいに洗っておきたかったのですよ。

明日は細胞を採取するだけですから、本番は検査結果を聞く日ですね。

いつもそうですが、細胞の採取から2週間ほどで結果が出ます。

毎回、担当医に言われることですが、検査結果次第では治療に踏み切ることになるの……かも?!

 

一時、本当に治療に踏み切ろうかというギリギリのところまで行ったのですが、ギリギリ治療は必要ないと判断されてきました。

癌の治療って体に負担がかかりますから、できるだけ治療はしない方向で様子を見たい。

これが現時点での担当医の見立てです。

私は癌の前段階をウロウロしているんですよね。

 

明日は、その病院の話を書きます。

また、よろしくお願いします。

結局、1000字以上書いちゃったよ……。

 

母の施設入所

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。

復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。

~ここから本編~

基本的に大きな悩みもなく天下泰平に暮らしていますが、気になることはありますね。

それは、高齢になった母の施設入所についてです。

 

さっきも弟と連絡を取りましたが、話は進んでいませんねえ。

 

理由はいろいろあります。

母の年金額が少ないので、それで賄える施設が少ないことですね。

施設って意外と高いですし、お金もかかります。

 

もう一年ほど前から話し合っていますが、全然進展がありません。

 

その理由はおそらく、こういうことなんですよね。

 

母は昔、介護の仕事をしていました。

今もそうであるように、認知症になってしまった利用者さんのお世話は大変な仕事です。

 

排泄物を壁に塗りたくるとか、徘徊するとか、無駄な延命処置が行われているとか。

母はそういう問題の最前線にいました。

勤務していた職場のことを、姥捨て山と言っていましたね。

ですから、自分もそういう年齢になったことを認めたくないのでしょう。

自分が誰かもわからなくなり、人様の手を煩わせるようになる。

このことに対する恐怖と抵抗感があるのでしょう。

 

そうは言っても、母は私や弟に面倒を見てもらう気はないようです。

そうでないと困ります。

 

弟もネットなどで良い施設がないか探しているようです。

私も見ますね。

ただ、それは母のためではありません。

私自身のためです。

 

言い方は悪いですが、手っ取り早く母をポイ捨てできる姥捨て山を探しているのです。

このブログでも何度も書いていますが、言ってみれば、母は私を精神的に虐待してきました。

これからが、反撃の時です。

母を介護する気はさらさらありませんね。

はっきり言って、施設にポイですよ。

そういう理由で、良い施設がないか探したりしていますね。

 

母、早く片付いて欲しいですね。

母は今は一人暮らしをしていますが、何か問題を起こされても迷惑です。

高齢ですから、火の不始末だとか、大事なものをなくすとか、もっと状態が悪くなれば徘徊するようになるとか。

冗談ではありません。迷惑です。

 

こんな母ですから、今の一番の願いは向こうの世界から早くお迎えが来てほしいということなんですよね。

私もそれが一番いいと思いますよ。

 

毎日、仏壇を拝み、先に逝った父に向かって、早く迎えに来て欲しいと念仏を唱えていますが、父は全然迎えに来ないんですよね。

なぜか考えてみました。

おそらく、父にも嫌われているのでしょう。

私に嫌われ、弟にも嫌われ、どうやら父にも嫌われているようなのです。

 

母、人間性に問題があるんですよね。

相手の気持ちがわからない、相手を傷つけているという自覚がない、それどころか自分は正しいことをしていると頑なに信じている。

 

いよいよ、向こうの世界からも必要とされていないのでしょうか。

そんな人の尻拭いは御免ですね。

施設にさようならです。

成人式

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。

復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。

~ここから本編~

今日は成人式の日ですね。

それで三連休なんですね。

 

成人式って何でしょう?

なぜ行われるのでしょう?

 

と言うのも、私は成人式に参加しなかったので、何がめでたいのかよくわかりません。

 

成人式に参加しなかった理由はいくつかあります。

若い頃の私は突っ張っていて、つまらない大人になんぞなるものかと気合いを入れていました。

その頃の私の目標は30歳を過ぎてからも自分らしさを失わない大人でした。

20歳が人生のピークではなく、30歳以上にこそ人生のピークを持っていきたいと考えていたんですよね。

ですから、20歳だからといってめかしこみ、そこが自分のピークであるかのように騒ぎたくなかったのです。

 

そして、もう一つの理由はこういうことです。

振り袖姿など記念写真なんかは撮りたくなかったですね。

 

私は人間としてではなく、女の子として育てられました。

私の中の女性という部分だけが殊更に強調され、結婚さえすれば良いと過剰に期待されました。

 

なんだか、自分という人間が一個の人間ではなく、女性という性別で区切られた役割を全うすることを求められていて、違和感があったのです。

つまり、美しい振り袖姿は女性としての象徴ですが、そういう枠に閉じ込められたくなかったんですよね。

成人式には行かず、振り袖も着ませんでした。

 

この二つが成人式に参加しなかった理由ですね。

まとめると、自分という人間が既存の枠に閉じ込められ、成人式に出れば私を枠に閉じ込めようとする両親を満足させることになる、それは避けたい気持ちがあった。

こういうことですね。

 

私は幼い頃からつまらない枠に閉じ込められて成長したので、そういうものに対する反発が今でも強いです。

既存の枠に閉じ込められることなく、自分らしい感性を大切にする。

私は幼い頃からずっとこうでした。

 

成人式なんぞは安っぽい馬鹿騒ぎ。

このくらいにしか考えていませんでした。

何よりも、枠を押し付けてくる両親への反発があり、成人式には参加しなかったのです。

 

今でもこの考えに変わりはありません。

もう50代になりましたが、固定観念を疑い、つまらない枠組みには囚われない。

成人式を迎える頃の、20歳くらいの頃の私はそういう大人になりたかったのです。

今、50代になってみて、上記のような考え方は確立されましたね。

20歳の頃に思い描いた理想の自分になれています。

 

式典には参加せず、振り袖も着ることなく、当然、記念写真も撮っていません。

こういう自分が好きでしたし、これからもそうです。

 

20歳が人生のピークではありません。

めかしこんで騒ぐ意味がわかりません。

 

人生のピークはいつでも、今、この時です。

今、この時、この日の自分が人生で一番若く、常に進化していくのです。

いくつになっても、そういう気持ちを保ち続けていきたい。

 

20歳の頃から私はそう考えていました。

今、思い描いていた通りの自分になれているので、成人式に行かなかったことは正解ですね。

家族写真

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。

復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。

~ここから本編~

私が生まれ育った家庭には一枚だけですが、家族写真があります。

私が中学一年生を終える頃、春休みに撮影されたものです。

 

今は実家にあると思いますが、もう見たくないですね。

 

なぜ、家族写真なのでしょう?

確か、父が言い出して、撮ろう撮ろうと父は大騒ぎしていた記憶があります。

 

今でも、なんだか気持ちが悪いんですよね。

 

私が生まれ育った家庭は大いに問題があります。

何度か書いていますが、私は中学に入ったばかりの頃に摂食障害を発症しました。

摂食障害で拒食になり、体重は30kgくらいまで瘦せ細りましたね。

なのに、両親は私を病院に連れて行くでもなく、精神的なケアをするでもなく、ほぼ放置されていました。

 

後から母に聞いてみました。

私が中学に入ったばかりの、まだ幼さが残る時期に摂食障害に罹って心配ではなかったのかと。

 

母はこう答えました。

学校の成績が下がらなかったから、大丈夫だと思っていたと。

 

これは酷いですね。

拒食になり、体重が30kgですよ。

逆に、この状況で成績を維持している方が危険ではないですか?

拒食、食べることを拒絶することは、死んでも構わない、死にたいという心理の表れではないでしょうか。

娘をそういう気持ちにさせる親が、家族写真を撮る。

本末転倒ですね。

 

私が生まれ育った家庭は、こういう家庭です。

家族写真などという綺麗事とは、まったく正反対の方向にありました。

 

家族写真を撮ろうと言い出したのは父です。

父は善人ですが、かなりおかしい人でした。

上記の家族写真のいきさつをお読み頂ければ、真っ当な人は首を傾げることでしょう。

 

父、おそらく発達障害だったのだと思います。

物事を大切にする順序がおかしい、相手の気持ちがわからない、職場で孤立する。

発達障害ですね。

 

父は昔の人間ですから、正確に診断されることもなく、発達障害という言葉も知らず、何のケアもサポートも受けられず病死しましたが、発達障害ですね。

 

医学的に診断されず、風変わりで片付けられ能力を発揮できなかった父。

こういう人を支えるのは、配偶者の役割ですよね。

しかし、母は全く父をサポートしていなかったのです。

 

私の家庭の問題点は、父が発達障害であったことよりも、母が気遣いのない無神経な人間だったことにあります。

父をサポートせず、私の心の問題にも寄り添わず、あの人は何の為に生きているのか、甚だ疑問ですね。

 

こんな家族が家族写真ですよ。

ちゃんちゃら可笑しいですね。

 

大切なことは形だけの表面上のことではなく、実のある心の問題なのです。

 

既に病死した父は、向こうの世界で気付いたことでしょう。

未だ、のうのうと生きている母にも、早く向こうの世界でこのことに気付いてもらいたいですね。

 

私は母の介護はしません。

あんな心無い人の尻拭いは御免です。

そんなに大切な写真なら、喜んで棺桶に入れてあげますよ。

 

さよならこそが人生とは正にこのことです。

 

そそっかしい私

本編の前にお知らせです。

「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いていますが作業中に間違って表示を消してしまいました。

復旧次第、載せますのでそれまでお待ち下さい。

~ここから本編~

今日はスーパー銭湯に行ってきましたが、すごいボケが炸裂してしまいました。

行きたいスーパー銭湯ではない、違うスーパー銭湯の送迎バスに間違って乗ってしまったのです。

 

送迎バスに乗り込み、出発してから気付きました。

私が行きたいのはスーパー銭湯Aであって、Bではなかったのですが、私が乗った送迎バスはスーパー銭湯Bの送迎バス。

仕方がないので、そのままスーパー銭湯Bでお風呂に入ってきました。

 

こういう大ボケ、昔からそうですね。

 

大学生の時、大学へ行こうとしていたのですが、大きな荷物を持っていました。

大学まで大きな荷物を持って行くのは大変なので、地下鉄の駅のコインロッカーに預けたんですよね。

 

そして、大学での授業を終えた私はコインロッカーに預けた荷物を取り出そうとしましたが、ロッカーを開けると荷物がありませんでした。

盗まれたのかも知れない。

そう思った私は念のために使われていない、空いているロッカーの扉を次々と開けていきました。

 

そうしたら、お金を入れて自分で鍵をかけたロッカーの隣のロッカーに、私が預けたはずの荷物があったのです。

 

そうです。

私は荷物を入れて預けたロッカーに鍵をかけず、その隣の何も入れていないロッカーにお金を入れて鍵をかけていたのです。

馬鹿ですねー。

もう記憶も曖昧ですが、そう高価なものは預けていなかったと思います。

ですから、被害はなかったのですが、全部自分が悪いんですよね。

大ボケです。

 

そして、大学を卒業し、社会人生活を経て私はフリーターをしていた時期がありました。

その頃のことです。

フリーターは夕方以降は社会人講師として、家庭教師をしていて夜遅くに帰ってくることが多かったですね。

 

いつものように鍵を開けて部屋に入り、そしてお風呂に入り、寝て、次の日の朝アルバイトに出かけようとしたら、鍵がないことに気付きました。

 

鍵はどこかに置き忘れたのか。

部屋中を探し回って気付いたのです。

昨夜、帰宅して鍵を開けた時に、鍵穴に鍵を挿したまま部屋に入ってしまったのです。

 

つまり、一晩中、鍵は外の鍵穴に挿したままだったのです。

そこで、外の鍵穴を見ましたが鍵はありませんでした。

 

これは困りましたね。

幸い、大家さんも同じ建物に住んでいたので事情を話し、鍵を交換してもらいました。

鍵の交換が終わるまでは外出できませんでしたし、一晩中、鍵を放置している間、誰かが持って行き部屋に入ってこられたら大変だった。

そう考えるとゾッとしましたね。

 

私は本当にそそっかしいです。

自分のこういうところは身に染みているので、用心するようになりましたね。

 

これから、もっと歳を取ったらどうなるのか。

ちょっと心配になりますが、何だかんだ言って大事には至っていないので、なんとかなるのでしょう。