障害を持ち、地方で暮らすということ

今日は、発達障害などの精神的な問題を抱える人の就業サポートのための福祉の窓口に、電話で問い合わせをしました。

 

何箇所かでアドバイスを頂き、徐々に絞り込み、私にできることを見つけていきたいです。

いよいよ始動し始めたという感じですね。

 

今のところ、私は北海道に生き北海道で死のうと思っています。

札幌出身の私は、人生の90%程度を札幌で過ごしてきました。

 

幼い頃、数年間、北海道の苫小牧市という街に住みましたが、それ以外は札幌で過ごしました。

苫小牧に住んでいたのは、父が仕事が長続きしない人で、一時期苫小牧で働いていたからです。

 

人様には恥ずかしいので、父の仕事の都合と言って「転勤ですか?」と聞かれれば「そうです」と答えていますが、違います。

父は転勤が必要なかっこいい仕事には就いていませんでした。

父は穏やかな性格で、頭もよかったのですが、周りで一緒に働く方々とうまく付き合うことができなかったのです。

 

他にも、フルタイムで働いていた母に毎朝、出汁から丁寧にとった味噌汁を作ることを強要したり、思い込みで私に大学進学だけを押し付けたり。

 

おそらく、父は発達障害を抱えていたのだと思います。

性格は穏やかでしたが、相手の気持ちと自分の考えをすり寄せることができない人でした。

古い世代の人間ですから、診断もサポートも受けられずに死んでいきました。

 

このような父でしたから、仕事が長続きせず職場を転々としていたので、幼い頃の一時期、私は苫小牧市に住んでいたのです。

 

苫小牧市以外は、私は札幌で成長し大人になりました。

大学も北海道大学に進学し、実家から通いましたし。

 

印度哲学を本格的に学べるということが、大学選びで最も優先したことでした。

札幌以外でも国公立で印度哲学を学べる大学があり、アルバイトをしながら進学しようかという話も出たのですが、学生の本分は学業であり、不確実なアルバイトを当てにするものではない。

 

こういった理由で、北海道大学一択。

滑り止めは受験しませんでした。

 

私が大学受験した頃は共通一次試験の時代であり、国公立大学は一校しか受験できませんでした。

実家の経済的な問題で、私立大学に進むという選択肢はない。

以上のような事情で、北海道大学しか受験しませんでした。

 

つまり、滑り止めは受験できない。

一発勝負で、不合格であれば浪人生活。

 

このように追い込まれた状況の方が、私は実力を発揮できました。

退路を断った方が、私は実力を存分に発揮できたのです。

 

北海道大学に進学して、本当によかった。

キャンパスが広く、校風は素朴で堅実。

 

今の現役北大生は、お洒落な学生さんが増えたのではないかと思うのですが、私が通っていた当時は、どちらかと言えば野暮ったい学生が多かった印象です。

 

女子学生はブスとも言われていましたね。

実際には美人もいたのですが、私が通っていた頃の北海道大学の女子学生の比率は、全学部を通して十数%程度で、四年制大学に進学する女子学生の数も今より少ない時代でした。

 

道外出身の同級生の中には、大学時代という貴重な若い時期を北海道という浪漫に満ち溢れた土地で暮らしてみたいからという理由で、北海道大学を志望したという人もいました。

 

北海道は今でも、47都道府県の魅力度ランキングで堂々の1位です。

食べ物が美味しい、広々、伸び伸びしている、季節の移り変わりがはっきりしている。

魅力がいっぱいの浪漫チックな土地です。

道外出身の北海道大学の同級生たちの中に、この浪漫を進学先を決める要素に入れていた学生もいたことは、全くその通りであると頷けます。

 

 

大学は北海道大学に進学し、札幌で生まれ育った私は、とにかく北海道志向です。

 

大学を卒業すると、多くの同級生が東京を中心とした大企業に就職を決めて進んで行きましたが、私は大学卒業後に就職した会社を9カ月で辞め、その後は札幌でフリーターをしていました。

 

元夫と結婚生活を送っていたのも札幌です。

 

何と言っても、地元は落ち着きます。

 

実は、50日間だけ東京で暮らしたことがありますが、やはり私は北海道、札幌で生きる気持ちしかない。

そう考えて、50日で札幌に帰ってきました。

 

50日間の東京生活では、日雇いの仕事をしながらカプセルホテルで眠り、最後の10日間だけ契約したアパートで暮らしましたが、やっぱり私は北海道で暮らす気持ちしかない。

違約金を払ってアパートを解約し、札幌に帰ってきました。

 

思えば、このような行動に出たことも、自閉症スペクトラム障害の影響ではないかとも考えます。

東京で50日間だけ暮らした頃は、そのことには全く気付いていませんでした。

 

でも、自閉症スペクトラム障害に気付かなくても、私は北海道に帰ってきて札幌で暮らしたかったですね。

 

大学を卒業して就職する時も、北海道志向でした。

東京、何するものぞという気概に満ち溢れていました。

ですから、就職した会社を9カ月で退職し、その後は札幌でフリーターをしたことの方が、私の本領発揮と言えるのです。

 

今の私は、自閉症スペクトラム障害が正しく診断され、サポートを受けながら働くのか、障害者枠で働くのか、働く場所を探している状態です。

ただ、言えることは今後も札幌で働き、生活していこうということには何の変りもないということです。

 

テレビなどを見ていると、東京でやりがいのある仕事に就き、能力を存分に発揮している優秀な方を多く見かけます。

しかし、私はそちらに行くべき人間ではない。

 

勉強は大好きで大得意ですが、それは自閉症スペクトラム障害がある私の、著しい能力の偏りによるものです。

勉強ができても一般的な仕事が苦手な私は、都会でバリバリ働く人間ではないのです。

 

人によっては、こういう状況を嘆かわしく感じ、行き詰まる方もいるかも知れませんが、私は寧ろお誂え向きだと考えています。

 

北海道に生まれ、北海道で生活し、北海道で死ぬことを何よりも望んでいる。

勉強は得意でも、一般的な仕事がほぼできない。

 

私の願いと能力、障害(個性)を全て考慮すると、障害を持ち地方で暮らすことが、私に一番相応しいことなのです。

 

コロナウィルスの問題が未だ収束しませんが、毎日伝えられる東京都の感染者数。

東京一極集中の弊害が見えてきます。

 

ニュース番組などで見る東京都の映像は、どこに行っても人人人人人。

人口密度が高く、密集しているから感染が収束しないという面も否定できないのではないでしょうか。

もう少し、人と人が分散しなければ、事態の収束に近付くことは困難なのではないでしょうか。

 

東京一極集中の弊害は他にもありますが、感染収束の妨げにもなりかねない密集は忌々しきことだと考えます。

 

生まれ育った土地で自分らしく暮らし、相応しい生活をすることが何よりの幸せです。