DOGを逆さにするとGOD

犬と人間は友だちであり、家族です。

 

犬派か猫派かと言われれば、私は断然、犬派です。

 

私はほとんど記憶していませんが、私が生まれた頃に住んでいた家には既に犬がいたようです。

 

私が1歳頃に、その家の前で若かった父と撮った写真に、小さく映り込んでいる犬の姿があります。

 

父も犬が大好きでしたから、あの犬は父のお気に入りだったことでしょう。

 

父はその犬のことを「キュースケ」と呼んでいました。

父は、歴代飼った犬、どの犬にも「キュースケ」と名付けていました。

父によれば「キュースケ」の「キュー」は、坂本九さんから頂いていたものだったようです。

 

犬は英語では「DOG」これを逆にすると「GOD」=「神」ですね

 

犬は、かなり大昔から人間と共に暮らしてきました。

番犬として、家畜を見守る働き手として、家族として、パートナーとして。

 

犬と人間は大昔から共に生き、ある時は人間を守る神だった。

そこで、英語では「犬」のことを「GOD」を逆にした「DOG」と呼ぶようになったのかも知れません。

 

前述したように、私が生まれる前から父と母は犬と暮らしていたようですから、私はその犬に見守られ成長したのでしょう。

 

でも、その犬との別れは悲しいものでした。

 

私が3歳くらいの頃だったでしょうか、私たち一家は札幌から北海道の苫小牧市という街に引っ越すことになりました。

 

前にもお話ししたように、おそらく発達障害を抱えていたであろう父は、仕事が長続きしない人で、苫小牧市に仕事を求めて私たち一家は引っ越したのです。

 

引っ越し先の家では、犬が飼えなかったのでしょう。

それまで飼っていた犬は、男性3、4人の手で車に押し込められ、どこかに連れて行かれてしまいました。

 

その犬が、男性3,4人に車に押し込められる時に悲しそうに鳴いていたのは、まだ3歳くらいだった私も覚えています。

 

その引っ越しの日、私も何故か泣いていたんですよね。

何故、泣いていたかは覚えていませんが、犬との別れを儚んでいたのでしょうか。

引っ越し屋さんが荷物を運びながら、どうして泣いているの?と私に声をかけてくれていたのですが、私が泣き止むことはありませんでした。

犬の話とはあまり関係ないですが、私に声をかけてくれていた若かった引っ越し屋さんのお兄さんたちも、もうご高齢になったことでしょう。

 

苫小牧市に引っ越し、二軒目に住んだ家では犬を飼いました。

やはり父が犬好きで、ペットショップなどはほとんどない時代だったので、母が保健所に問い合わせて、子犬を譲って頂いていたように朧気に記憶しています。

 

苫小牧市には数年しか住んでいなかったのですが、家は三軒変わりました。

 

一軒目の家は、小さな一戸建てのような家でしたが、どちらかと言うと長屋ですね。

長屋ですから、犬は飼えなかったのでしょう。

 

二軒目の家は、父が当時働いていた職場からお借りしていたものでした。

一階部分が住居で、二階部分はその職場で使う物を置いておく倉庫になっていましたが、犬は飼える環境でした。

そこに2年ほど住んだでしょうか、その後は公営住宅、いわゆる団地に入居したので犬を手放すことになりました。

 

詳しいいきさつは忘れてしまったのですが、苫小牧市で住んだ二軒目の家では、短い期間で一匹ずつ、何匹か犬を飼っていたような記憶があります。

 

苫小牧市で二軒目に住んでいた家で、それぞれ飼っていた犬たちとは、2年ほどしか過ごすことができませんでした。

その犬たちがその後どうなったのかは、私は子どもだったので忘れてしまいましたが、2年ほどしか一緒にいないで手放すことは、現代では動物虐待になりかねない、とんでもないことです。

 

父が癌に罹り、最後に入院して治療の手立てがなくなり、万策尽きた時、私は父にこう言ったことがありました。

 

お父さんがもう治らないのは、あの時、自分の都合で犬を手放したりしたからだと。

 

札幌から苫小牧市に引っ越す時、苫小牧市で最後に住んだ団地に引っ越す時、父の意向で飼った犬を人間の都合で手放してしまった。

父が治療の手段を閉ざされ、死ぬしかなくなったのは、犬を粗末に扱った天罰だと私は父に言いました。

 

父は、かなりショックを受けたようです。

無口で自分の感情を表面に出さない人だったので、私に面と向かって反応はしませんでしたが、母の前では、犬に申し訳ないことをしたと悔いて反省していたようです。

母からそう聞きました。

 

父はそれからすぐに亡くなりましたが、犬のことは気にしていたことでしょう。

父に最後の最後に後悔させた犬の存在。

父は善良で穏やかな人でしたから、やはり犬を粗末に扱ってしまったことを、私に言われなくても悔いていたのではないでしょうか。

 

犬はこのように、人の心の中の深いところに入り込む神ですね。

父は、犬と暮らしていた頃は名前を「キュースケ」と呼んで可愛がっていましたから、本当は最後まで面倒を見たかったのではないかとも思います。

 

父と私と犬の物語はここまでです。

 

次は、元夫と私と犬の物語です。

 

私と元夫は、結婚してすぐに札幌市内に一戸建てを建てて住み始めました。

元夫と約束したのです。

家が完成したら、犬を飼おうと。

 

そこで迎えたのはゴールデンレトリバーの雄の子でした。

「ラッキー」と名付け、毎日にぎやかに過ごしました。

 

ラッキー以外に犬を飼う予定はなかったのですが、結果的に三匹の犬と暮らすことになりました。

 

私と元夫は、札幌にある山沿いのエリアに家を建てたのですが、札幌市内ながら自然が豊かで伸び伸びとした地域でした。

だからなのか、山に通じる林の中に犬を捨てていく不届き者もいました。

 

最初に迎えた子・ラッキーの後に迎えた子たちは、シーズーの雌とミニチュアダックスフンドの雌の子です。

 

この二匹の雌の子たちは、どちらも山に繋がる林に捨てられていました。

”長男”のラッキーが、朝、散歩させていた時に、こっちだこっちだと引っ張る方に行ってみると、シーズーの子が捨てられていました。

 

毛が伸び放題で、顔もよく見えなくなっていて、かなり衰弱していたので迷わず保護し、かかりつけの獣医さんに連れて行き診察を受けさせて、我が家で飼うことに決めました。

シーズーの子は衰弱していて、一週間の入院後、我が家の一員になりました。

 

その後、同じように保護したミニチュアダックスフンドの子も加え、わんこ三兄弟が揃っていた頃は、かなり賑やかでしたね。

 

捨てられていた子たちを保護して、獣医さんに連れて行き飼うことを決めると、診察してくれた獣医さんも安心して喜んでくれました。

この子たちは、助けてもらった恩を忘れることはないだろうと言って下さいました。

 

あれから、三匹の犬たちは順に死んで、私と元夫は離婚して別れ、みんな離れ離れになってしまいましたが、三匹の犬たちと過ごした日々は私の宝です。

 

三匹の犬たちは私の宝です。

 

シーズーの子が死んだ時、私と元夫は既に離婚し別々に暮らしていたのですが、シーズーの子が死んだと、元夫が連絡をくれました。

私は、その頃、精神疾患を治療しながら一人暮らしをしていたのですが、元夫に頼んで、死んだシーズーの子を連れてきてもらいました。

 

私がその子のお葬式を出しました。

ペット用の斎場に連れて行き、火葬して頂きその子の骨を拾ってあげました。

 

お坊様にお経をあげて頂く時に、お坊様がこう仰っていました。

別れた元夫と私のことを、死んだシーズーの子が再び引き合わせようと導いてくれたのだと。

 

私もそう考えました。

元夫と復縁することはなかったのですが、もう一度会えたのは死んだシーズーの子の導きだったのでしょう。

 

もう一つ、犬にまつわる不思議な話があります。

 

”長男犬”のラッキーが死んで間もない頃、同じゴールデンレトリバーの雄の子との出会いがあったのです。

 

その子の名前は「ジャック」。

ジャックの元の飼い主さんが、回復不可能な病状となり、泣く泣く手放さなければならなくなったということでした。

 

私たち夫婦が住んでいた家のお隣のご夫婦から頂いたお話だったのですが、そのご夫婦のお宅には、既にゴールデンレトリバーの雄の子がいて、大型犬の雄同士を同じ家の中で飼う訳にはいかず、私たち夫婦が飼えないかと相談されたのです。

 

当時、私たち夫婦のところに残っていたのは、シーズーの雌の子とミニチュアダックスフンドの雌の子。

小型犬の雌の子となら、ジャックは一緒に暮らせます。

私たち夫婦は、ジャックを引き取ることにしました。

 

それまでいたラッキーを亡くしたばかりだったので、ジャックはラッキーの生まれ変わりだったのでしょう。

ジャックこそ「神」。

 

私と元夫が離婚して、10年以上経ちましたから、ジャックももう天に召されたことでしょう。

でも、元の飼い主さんと生き別れるようにして、私たち夫婦の子どもになってくれたジャックは、私たち夫婦のことも忘れないでいてくれることでしょう。

 

物心つく前から、私は犬と暮らしてきました。

 

札幌から苫小牧市に引っ越す時に、どこかへ連れて行かれてしまった「キュースケ」。

引っ越し先の苫小牧市で、2年ほど一緒に過ごした「キュースケたち」。

 

父はその「キュースケたち」を、自分の都合で手放したことを真剣に悔いて、反省していました。

善良な父を反省させた「キュースケたち」。

 

元夫と暮らした日々を共に過ごした三匹の犬たち。

生まれ変わりのように現れたジャック。

 

どの子も可愛かった。

可愛がったぶん、昨日お話しした、生まれてこれなかった私の兄や姉のように、これからも私を守る神なのでしょう。

 

犬は英語で「DOG」逆さにすれば「GOD」。

私にとっての犬は「神」なのです。