おばさん体形

私はもう50代、すっかりおばさん体形になってしまいました。

50歳になる少し前から激太りして、若い頃より10kg以上太ってしまいました。

 

お腹が出て、すっかりおばさん体形になってしまいました。

ジムに通ったり、ヨガを習ったのですが全然痩せず。

 

一時期、ヨガを始めてすぐの頃、5kgくらい痩せて元に戻りかけたのですが、食事の制限が続かなかった。

 

ホットヨガでたっぷり汗をかいた後、ブロッコリーだけを食べていたら痩せたのですが、そういう食生活は続くものではありません。

 

それが正常です。

私は精神疾患を治療していたことがありました。

今は回復し元気に暮らしていますが、双極性障害摂食障害、アルコール依存の傾向もありました。

 

大学病院の閉鎖病棟に入院し、10年以上通院して治療しましたね。

入院中、治療の成果を確認し退院の目安となるのは、食事がとれるようになり健康的な体重にまで回復させること。

その目標の達成なくしては、退院できませんでした。

 

摂食障害は極端な拒食傾向で、食べられないのに食べなくてはならず、心身ともに厳しかったです。

 

その頃のことを振り返って見れば、美味しく食べられることは何より嬉しく楽しいことです。

だから、中年太りでおばさん体形になったことで、生きていることを実感しています。 

 

今は身も心もおばさんになりましたが、皆、そうであるように私にも若い頃はありました。

20代、30代の頃は結婚して専業主婦、子どもはおらず自由になる時間がたくさんあったので、スポーツクラブに通い、エアロビクスに夢中でした。

 

当時の私の体重は40kg台で、エアロビクスのレッスンはレオタードで参加していました。

今はレオタードでエアロビクスをしている方は、ほぼいませんよね。

でも、私がエアロビクスに夢中だった頃は、ハイレグのレオタードが全盛で、常連のメンバーさんは男性でもレオタードを着用の方がいました。(男性はハイレグではないですよ。オリンピックのレスリングのユニフォームみたいな感じでしたね)

 

エアロビクスはハマりました。

レオタードを買い集め、一時は100着くらい持っていました。

スポーツクラブでも、同じレオタードは着ない人とも言われていたくらいです。

いわゆる競技エアロも齧り、大会にも出場していました。

 

こんな調子でしたから、如何に体形を維持するかが、当時の私にとっては一番大切なことでした。 

 

30歳になってから、毎年人間ドックで検診を受けたり、乳癌の検診は専門の病院で受けるようになったのですが、乳癌の検診で何か異常があったらどうしようと、怯えにも似たような気持ちでいたものです。

 

乳癌に罹っても、状況によっては乳房の温存も可能な場合はありますが、それでも体形が崩れそう、体形が崩れればレオタードを着こなせなくなるかも知れない。

そう考えて、乳癌には怯えていました。

 

そこまでして、体形の維持に血眼になっていたのですが、今は全く思わなくなりました。

 

年齢を経るごとに心の動きが変わるのでしょう。

外見を無理して作ることより、健康を維持し、内面を豊かにすることに重きを置くように変化してきました。

 

特に、子宮頸がんで手術し子宮を全摘してからは、ますますその思いを強くしました。

今でも経過観察中ですので、検査して無事を確認できることが一番に大切なことになりました。

 

それでも、50歳の手前で急に太り始めた頃はジタバタしていました。

50歳手前ということで更年期障害ではないか、更年期になるとホルモンのバランスが崩れ、太ることもあるようだと聞いた私は、婦人科の病院に行き検査を受けることにしました。

 

太る原因を更年期のせいにしようとしていたんですね。

 

しかし、ホルモンの検査の結果は年齢相応とはいえ、更年期とも言えず、よって太る原因は更年期障害の影響ではないというものでした。

一応、婦人科の医師に太る原因を尋ねたところ、それは単なるカロリーオーバーであり、食べ過ぎであると呆気なく言われてしまいました。

 

あらら、そうは言われても美味しいものは止められない。

こうして、今日に至っています。

 

物事は何でもそうですが、中身の乏しい人間には何も表現できません。

この人はつまらない人だなあ、心が貧しく美しくないという印象しかない人間は、何をやってもパッとしない。

そういう方、存じ上げていますので。

 

どれだけ心が貧しいかと言えば、気に入らない人間の口を塞ぎ、発言権を奪うために吊し上げを行おうという仲間に囲まれ、徒党を組み、弱者を排斥する。

これが、心が豊かで美しい者がすることですか?

 

違いますね。

そのような根性では、何をしようが発展なし。

今後は先細りしか道がありません。

高みの見物といきましょう。

 

心が貧しく、相手を追いやることしか考えない者は、危機が迫っても文字通り高みの見物で、それは対岸の火事だと高を括る。

あらあら、あなたが一番、高みの見物で物笑いの種になるのですよ。

これ以上愚かなことはありません。

皮肉なものです。

 

さて、おばさん体形の私はこれ以上落ちることもなし。

落ちることがなければ、上昇することしかない。

 

見た目の美醜に囚われることなく、愚か者を退ける賢者として進みます。

 

心貧しき者に未来なし。

未来は心富む者にのみ与えられるのです。