幻の祖父

明けて2月3日になりました。

昨日は節分でしたね。

124年ぶりに2月2日が節分になったということでした。

 

今日はこのサブのブログ『とまとの呟き』はお休みしようかと思いましたが、やっぱり書くことにしました。

 

124年前は、私の父方の祖父が生まれた年です。

その祖父は、私の父が小学生の時に病死したそうなので、私は会ったことがありません。

 

昨日は124年ぶりの2月2日の節分でした。

幻の祖父のことを思いながら『とまとの呟き』を書こうと思います。

 

祖父は124歳。

私の父が生きていたら84歳。

父の話によれば、父は祖父が40歳の時に生まれた子どもだということですので、84+40=124歳。

やっぱり、祖父は124歳ですね。

 

祖父は49歳で病死したそうです。

祖父が闘病していたのは、太平洋戦争中から戦後の混乱期。

父が物心ついた頃には、自宅で寝たり起きたりの生活をしていて、病院でしっかりした治療は受けられなかったようです。

 

父は、祖父の死因は今でいう癌だろうといつも言っていました。

父は8人兄弟で、家庭の経済状態も悪かったようです。

太平洋戦争の時代から戦後の混乱期で、祖父は十分な診断や治療も受けられず死んでしまったのです。

 

実は祖父の写真が一枚だけあります。

私の実家にあるはずです。

祖父の名前は「タツゾウ」。

 

父によれば、かなり頭のいい人で調子のいい日は、父にいろいろなことを話し、教えてくれていたそうです。

 

父は、母と結婚してから、母方の姓を名乗っています。

ですから、タツゾウおじいちゃんと私の姓は違いますし、会うこともできませんでした。

私とタツゾウおじいちゃんを結ぶものは一枚の写真だけ。

 

タツゾウおじいちゃんは、若くて元気な頃、どんな人でどんな暮らしぶりだったのでしょう。

去年の9月に、父の故郷の函館に行き、父が生まれ育ったという松風町を歩きました。

タツゾウおじいちゃんも、毎日毎日、松風町を歩いていたのでしょうか。

 

祖父はおそらく癌に死す。

父も癌で命を落としました。

 

私は今日は病院に行く日です。

私も癌を経験し、未だ経過観察中の身です。

さて、完治のお墨付きを頂ける日が来るのか、私も再発して死ぬのか。

 

祖父、父、私で、三世代に渡る癌。

私で、癌三世。

 

三代目の私は完治を勝ち取り、この戦いに決着をつけようと思っています。

 

タツゾウおじいちゃんも、見守ってくれています。

 

昨日は124年ぶりの2月2日の節分でした。

節分は二十四節気の新年始まりの前日。

節分を境に、季節は春に向かいます。

 

124年前、私の祖父が誕生しました。

祖父が生まれて124年後の節分、滅多に巡り合えない節分の次の日、立春の日に私は大切な検査を受けます。

 

祖父が生まれた年と同じ日に節分を迎え、立春の日は大切な日。

文字通り、春を立てる日になることを願います。

 

立春を「立」「春」の順に書くのは、春が立つからなのではなく、春を立てるから「立春」の順で書くということだそうです。

大昔の中国の王様が、王の権限で「春を立てる」と宣言することで春を迎えたということから、漢文の語順のように「立春」になったそうです。

 

私も王様にあやかり、春を立てたいものです。