そんなに勉強ができるようになりたいですか。
人は何故、勉強ができるようになりたいのでしょうか。
私は勉強ができて損をした。
今日はそんな気持ちになりました。
昨日のことになりますが、自閉症スペクトラム障害が診断された私は、障害を抱えて働くための相談窓口に行ってきました。
いろいろと面談し、就労継続支援の職場で働くのか、サポートを受けながら一般的な働き方をするのかについて考えました。
どちらかと言うと、無理なく働ける障害者枠・就労継続支援A型の職場で働こうと思っています。
また、今はまだ情報収集の段階ですので、多くの情報を集めています。
精神疾患を治療していた時期もあり、その頃は障害年金を頂き生活保護と合わせて暮らしていました。
そこで情報だけでもということで、先日、生活保護の申請手続きについても役所で尋ねてきました。
ありとあらゆる情報を用意しておき、後で取捨選択すればいいので、今は情報収集に努めています。
実家の母にも連絡し、今の私の状況を伝えていますが、ふと考えると50代になって初めて自閉症スペクトラム障害が診断された訳ですから、子どもの頃、私の障害は放置されてきたということです。
以前もお話ししたでしょうか。
私は中学1年生で摂食障害を発症し、拒食がひどくて生理も止まってしまいました。
その時、母に連れて行かれたのは精神科ではなく、婦人科でした。
このことで私は、自分は子どもを産む役割しか期待されていないのかとガッカリしました。
その後も結婚や出産に希望が持てなくなりました。
何事も的外れな期待をされれば、人間は反発しか感じなくなります。
この一件に象徴されるように、私の精神的な問題は両親にも理解されず、放置されてきました。
放置されてきましたから、私自身も自分の障害に気付くのがかなり遅れてしまいました。
あるご縁で心理検査を勧められ、先月、私に自閉症スペクトラム障害があると、やっと診断されたのです。
父と母は、懸命に私を育ててくれましたが、私の心の問題や障害については何を見て、何をしてきたのでしょう。
何もしていませんし何も見ていません。
私の障害が放置されてきたのは、私が人以上に学業に秀でていたことに因るものです。
自閉症スペクトラム障害など、発達障害がある人の中には学業に秀でた方が少なくありません。
私もそのタイプです。
成績はオール5、定期試験の成績は常にトップクラス。
父も母も私の優秀さを過大にかつ誇大に評価し過ぎていたのです。
私は元来、勉強は好きなのですが、その上に父と母は胡座をかいていたということですね。
幼い頃から聞き分けのいい、手のかからない子。
勉強をするような年齢になれば、群を抜いて優秀な子。
これらの陰に私の障害が埋没し、放置されてきてしまいました。
私の両親は共に1930年代生まれの古い世代で、子どもに精神的なケアを必要とする価値観は皆無な世代です。
そうだとしても、摂食障害を発症したり、異様に勉強ができればおかしいと思わないのでしょうか。
母は、私が摂食障害を発症した時は精神のカウンセリングなどに相談はしていましたが、手ぬるいですね。
それは、もう精神医療の問題です。
知らないなら学ばなければなりません。
古い世代だから精神医療を利用するということを知らないでは済まされません。
何よりも、私が学業が優秀であったがために、精神の問題が放置されてしまった。
勉強なんかしなければ良かった。
心底、そう考えます。
勉強なんかしなければ良かった。
そんなに勉強ができるようになりたいですか。
勉強ができるようになりたい。
私は一度もそう思ったことがありません。
そう望まなくても出来ていたので、勉強ができるようになりたいと思ったことなどありません。
そんなに勉強ができるようになりたいですか。
勉強なんかしなくていいです。
大事な問題が放置されるなら、勉強なんかは出来なくてもいいです。
そんなに勉強ができるようになりたいですか。