論文と小説

昨日、私が大学で学んだインド哲学の話を少ししたので、今日はややその続きになることを書きます。

 

タイトルの「論文と小説」

これは、固い文章と柔らかい文章を大別するものです。

小説は、作品や作者の個性で固いものもありますが、フィクションとイマジネーションの世界であり、論文よりはずっと柔らかいです。

 

論文といえば、何と言っても大学の卒業論文です。

昨日のお話の通り、私は大学でインド哲学を学んでいました。

私は北海道大学の文学部の卒業生です。

 

専攻はインド哲学卒業論文のテーマは正確には忘れてしまいましたが「大乗仏教における生命観」

そういったテーマだったと思います。

 

私の記憶では、私が卒業論文を書いた頃は、400字詰めの原稿用紙に最低100枚がノルマだったように思えます。

 

私も原稿用紙に100枚以上書きました。

もう30年以上前のことなので、当時はパソコンで文章を作る学生はほぼいませんでした。

できる人でワープロで作成。

そういう時代でしたね。

 

私は全て手書きにしました。

Twitterで交流する北海道大学の現役学生、後輩に聞かれました。

全て手書きだと文章を訂正する時、大変ではないかと質問されたのですが、どうでしょうか、あまり大変だとは思わなかったですね。

 

鉛筆でレポート用紙に下書きを書き、それを組み立てて原稿用紙にペンで清書するやり方で書きましたから、大量の下書きができたという記憶はあります。

 

因みに、私が大学に入学した頃、入学祝に万年筆をもらうというのも主流ではありました。

 

論文の書き方はいろいろあると思いますが、文学部、特にインド哲学に関する論文は、理系の学問のように実験データなどを集めて書くものではありません。

 

文学部とは言葉を使って真理を追究する場です。

 

文献や資料を読み、そこから導き出される自分なりの考察を交えて、文章を作りました。

ですから、とにかく多くの資料を集め、読むことが作業の中心でもありました。

 

文献や資料から読み取れること、自分が考察する根拠、そこから到達する結論。

理路整然と組み立てるのが論文のまとめ方です。

 

ですから、逆に論文を読む時は、書き手の考え、その根拠、最終的な結論を読み取る作業になります。

 

書くにしろ、読むにしろ、書かれている事実を読み取り、あるいは根拠を示してまとめる。

これが論文に求められていたことでした。

 

私はこういう固い文章の方が得意です。

 

入学試験の時から、問題文として大きく分けて論文・論説と小説・文芸作品は必ず読めるよう要求されていました。

入学試験では、大きく分けて論説、文芸作品、古文、漢文。

確か、論説文で一つか二つ、文芸作品で一つか二つ、

古文で一つ、漢文で一つ、合計五つくらい問題があったように思います。

 

実は、いわゆる現代文よりも、古文や漢文が得意で好きな私は、一番苦戦したのは文芸作品の問題でした。

 

文芸作品の場合は、作者との相性があります。

好きな時に好きなように読めるのであれば、自分が興味があるものを選べばよいですが、入学試験だとそうも言っていられません。

 

或いは、解釈についても文芸作品の場合は、読み手の感性に任されるものですが、入学試験では求められる解答を予測しつつ、時には自分の解釈を殺してでも解答に近付ける読み方が要求されます。

 

このような理由で、私は実は文芸作品が苦手でした。

同じ物語なら、私が惹かれた古典文学や漢文の世界観の方が読むのが楽しく、楽しいので楽でしたね。

 

こういう私ですから、卒業論文をまとめる作業は大変ではありますが、楽しめました。

テーマを決め、資料を集め、読み進め、考察し、結論を導き出す。

 

理路整然と考えるのが好きな私には、楽しい作業でした。

 

高校生の途中まで医学部を目指していた私は、どちらかと言うと理系的な発想が得意なのかも知れません。

 

哲学は文学よりは固いです。

文献や資料の中に隠される真実を読み取り、AであるからBであり、よってCであるというように、論理を組み立てて考えることが要求されます。

 

これは私の物の考え方に合っていたと言えます。

 

このように、論理を組み立てる方が得意な私が、なんと小説に挑戦しています。

小説は本当は苦手なのですが、挑戦しています。

苦手に挑戦することが自分の新しい面を作り、向上させると思うからです。

 

こちらはサブのブログです。

メインの方は「小説スカイゾーン」のタイトルで、その名の通り小説形式で書いています。

 

ですが、小説は読むのも難しいですが、書くのはもっと難しい。

 

物語の根本的なテーマを決め、コンセプトを練り上げ、キャラクターに命を吹き込み、話の展開を組み立てる。

そして、何と言ってもエンターテイメントとしての面白みを、前面に出さなければならない。

 

常に悩むのですが、私の文章は固く面白みに欠ける。

小説のつもりで書いても、いつの間にか状況の説明に終始し、流れるような情景描写ができないまま書き進めてしまう。

 

とにかく文章が固い。

これが一番の悩みです。

 

そしてもう一つの悩みは、テーマの設定も固い。

今取り組んでいる小説は、昨日もお話しした「生老病死」をテーマにしていますが、あまり一般的なテーマではなく重いです。

 

私が描こうとするテーマは固く、読んでもらえないようなものか。

友人にも相談したのですが、固くて重いものを読みたい読者もいるのだろうから、ブレることなく進めばよいとアドバイスをもらえました。

 

そうです。

何事もブレてはならないのです。

 

ブレるなと言われれば、それは寧ろ私の得意とすることです。

ブレないことは、理論を積み上げ、一つの論文を作る作業に通じるものがあります。

 

読むのも書くのも、どちらかと言うと苦手な文芸、小説ですが、やるからには上達を目指して進みたいです。

何事もやるからには、より良きものを目指して向上したいのです。

 

それは論文だろうが小説だろうが同じこと。

目指すところは同じなのです。

 

やるからには、より良きものを目指す向上心を持ち、進み続ける。

 

もう50代なのですが、大学生の頃と変わらず進み続けたいものです。