これまで、ひな祭りと言えば大迷惑でした。
今は処分しましたが、私は昔ながらの七段飾りのおひな様を持っていました。
持っていたと言うより、持たされていました。
死んだ父の勝手な思い込みと自己満足の犠牲者は、いつも私でした。
父は、女の子が生まれたらおひな様を買ってやるのが夢だったと、のべつ幕無し言っていました。
しかし、飾ったり片づけたり、父が手伝ったことは一度もありませんでした。
飾り付けた後に現れて「おお、綺麗だね」と、目を細めて見ているだけ。
昭和の男といえばそれまでですが、だとしたら、昭和の男は最低です。
父は発達障害を抱えていたようです。
上記のおひな様のこともそうです。
自分の夢は、周りの者全てが同じく見ていると信じて疑わず、周りの者の思いは我関せず。
他者の気持ちが読み取れない、発達障害の典型です。
父は1930年代の生まれで、今生きていたら80代です。
ですから、発達障害の診断もされず、サポートを受けられることもなく死にましたが、それにしても、家族は迷惑することが多かったです。
おひな様を勝手な思い込みで買い求め、家族を振り回したことには腹立たしささえ感じます。
そのうえ、私に対する執着が度を越していた。
父は私に依存していました。
大迷惑ですね。
おひな様は、父の死後、お焚き上げにお願いし処分しました。
その頃、私は精神疾患を治療中で、生活保護を頂き小さなアパートに住んでいたので、私の生活していた環境には相応しくない、寧ろ邪魔な存在でしかありませんでしたから。
おひな様を処分してすぐに、私は子宮頸がんに罹りました。
お焚き上げにお願いし、供養しても人形の念は強いのですね。
でも、私はそれにすら挑み、乗り越えていく気概に満ち溢れています。
父の私への依存も、ひな人形の念も乗り越えてやろうじゃありませんか。
私の人生は何ものにも依存せず、独立独歩で進むものなのですから。
父はおひな様は私を守る存在だとも言っていましたが、全く逆ではないですか。
おひな様を処分したら、きちんと供養したのに子宮頸がんに罹ってしまいましたよ。
おひな様をお焚き上げにお願いし、処分して清清しました。
父の勝手な思い込みに振り回され、おひな様に限らず家族は迷惑していましたから。
昨日の、このブログのテーマ「続・私、キングギドラなんです」にも書きましたが、私は父の籠の中にいる鳥ではありません。
父は死後、向こうの世界から私を見守っているつもりでしょうが、それすら重苦しくて迷惑です。
いつも、どんな時も、自分の自己満足と勝手な思い込みでしか相手と接することができなかった人に、見つめられたくありません。
私と父の距離感もおかしいですし。
父は私に依存していた。
今もそうです。
そういう近すぎる距離は苦痛以外の何ものでもありません。
そのおかしな距離感と父の私への依存の象徴が、おひな様でした。
おひな様を処分して10年以上が経っていますが、これ程までにおひな様を処分して良かったと思った年はありません。
去年までは、あまり考えもしていませんでした。
今年になっての心境の変化の原因は、私に自閉症スペクトラム障害があると診断されたことですね。
父が発達障害ですから、私の自閉症スペクトラム障害は、父からの遺伝で間違いありません。
生まれからして私に迷惑行為を働いたうえに、勝手におひな様を押し付けた。
許せませんね。
おひな様なんかクソ喰らえですよ。
以前もお話ししましたが、父のような人間は結婚して子どもを持つべきではなかった。
しかし、若い頃の父の一番の夢は、結婚して家族を持つこと、子どもを持つことでした。
皮肉なものです。
おかげで私は大迷惑の連続でした。
父はずいぶん前に死にました。
生まれ変わっても絶対に会いたくない人ですね。
父が悔い改めるなら、再考の余地はありますがどうでしょうか?
おひな様なんかクソ喰らえ。
ひな祭りの思い出は迷惑だったことしかありません。
ひな祭りは大迷惑です。