今日は、北海道の公立高校で入学試験が行われました。
私は自閉症スペクトラム障害を抱えて働くための相談に行っていました。
なんだか不思議なめぐり合わせを感じました。
もうかなり昔のことですが、私も目の前を歩く中学生たちと同じように、高校入試に臨んだ日があったと思い出していました。
それから何十年か後のその日、私は障害者として働くための相談窓口に出かけていた。
そこで真っ先に考えたことはこうです。
私は北海道では屈指の進学校・札幌南高校に進み、卒業しています。
しかし、それは果たして私に相応しいことだったのか?
父も母も、私の自閉症スペクトラム障害を放置していました。
気付きもしていませんでした。
母は今年86歳。
父も生きていたら80代です。
この世代は子どもの精神障害について、かなり重度の障害でもない限り気付くという価値観が皆無な世代です。
ですが、時代のせいにしてよいのでしょうか?
よい訳がないですね。
私は幼い頃から、かなり変わった子どもと周囲の大人に言われていました。
保育園の先生、小学校の先生、親戚のおばさん等、周囲の大人は私が他の子どもとは異なっていると気付いていたようです。
それでも、父も母も私の障害に気付かなかった。
気付こうとする努力を怠ったのだと思います。
50代になって初めて自閉症スペクトラム障害がわかった時、当然、母には報告し、私の障害に気付かなかったことに対する憤りをぶつけましたが、母の言い分はこうでした。
自分の娘に精神障害があると受け入れることはできないと。
それは違いますね。
事実というものは、常に追及し正しく把握しなければなりません。
つまり、父も母も考えが甘い。
前回、おひな様の話「ひな祭りは大迷惑」というテーマでもお話ししましたが、父も母も私との距離感がおかしい。
近すぎる距離感と私に対する依存。
こういう甘い考えは事実の正しい理解を邪魔するものでしかありません。
自分たちの甘さが私を不幸にしているという認識も、母にはない。
こんな母ですから、もう縁を切ることにしました。
母は今年86歳。
今年中には施設に入ることを希望していますが、私は今後一切、協力しません。
協力できません。
弟もこんな感じなんですよね。
表面上は母に優しい言葉をかけていますが、態度と無言の行動でわかります。
弟も、私と同じような思いがどこかにあるのでしょう。
自分が正しく理解されないということです。
前述した、今日は北海道の公立高校の入試日だったこと。
その日に私は障害者として働く窓口に相談に行っていたこと。
この二つの出来事の不思議なめぐり合わせから、こう考えました。
私に必要だったことは屈指の進学校に進むことではなく、私という人間に本当に必要な正しいことを知り、そちらに向かって進むことだった。
私はもう50代ですので、今後の人生は私自身の責任で進みますが、中学から高校に進学する時点ではまだまだ子どもであり、父と母の責任があります
この責任を果たさなかったことは、断罪されるべきことです。
父は体調不良を気にかけず、手遅れに近い癌でずいぶん昔に死にましたが、それも自業自得でしょう。
母は、私の障害を理解する気もなければ、今までのことを省みるつもりもないようですから、今後一切の協力はできません。
父と母にとって、私のために本当に必要だったことは進学校に進ませることではなく、障害を正しく理解しそちらに向かわせることだった。
高校入試を終えた中学生に交じって地下鉄の駅に向かう途中、そう考えていました。
さて、ですから、私は今後は障害者として正直に生きていきます。
このブログ・とまとの呟きで「無理をして生きていくのは、もうやめます」のタイトルで書いている回(2月9日の回)でも述べている通り、無理をせず、障害者として生きていこうと決めました。
今後は福祉のお世話になりますから、機会があれば福祉の場で活動してみたいという希望もあります。
今日、相談に行った窓口では担当の方から色々なアドバイスを頂けました。
結論としては、一般企業に就職することを前提とした職業訓練も、今の私の状況では難しく、就労継続支援もA型は厳しいのではないかということでした。
一般企業での受け入れは、原則、疾患や障害への配慮はあまり期待できない。
就労継続支援A型は疾患や障害への配慮はありますが、ある程度の配慮であり、疾患や障害に対して、かなりの配慮を必要とする場合は受け入れは難しいというアドバイスを頂きました。
よって、就労継続支援の職場だとしても、B型から始めた方が無理がなく良いだろうということでしたね。
無理なく。
これが私にとっては一番に大事なことです。
就労継続支援B型の職場では、疾患や障害の状況に配慮があり無理せず働けます。
無理せず働くことができる。
就労継続支援B型のメリットはそこです。
但し、デメリットもあります。
賃金がかなりお安いことです。
そこで、生活基盤を支える選択肢は生活保護や障害年金になりますが、既に申請の手続きを検討しています。
生活保護も障害年金も、精神疾患の治療を受けていた頃、お世話になっていましたから、制度の内容などは心得ています。
生活保護を頂くことも障害年金を受給することも、恥ずかしいことではありません。
恥ずかしいのは、このようなことを差別し蔑むことです。
また、障害があるなど、世間一般のいわゆる健常者の道から外れることで得られるもの、知ることができることはたくさんあります。
今回のテーマからは外れますが、私は離婚する前、結婚していた頃は夫婦別姓で事実婚でした。
元夫とも協力し、弁護士さんにも相談し、様々なことを調べ勉強し、自分たちの生き方を追求しました。
そのために勉強しなくてはならないことは少なくなかったですが、そのおかげで多くのことを知ることができました。
ですから、世の中の既存のもの、皆が当たり前だと信じて疑わないことから外れることで見えてくるものは必ずあります。
障害を持って生きるということも、その一つでしょう。
健常者には見えないものが見え、気付かないことに気付くことができる。
そう考えると、世の中の本流から外れることは寧ろ実り多き有意義なこととも考えられます。
ある意味、気付きがないまま健常者として漫然と生きていても意味がないのです。
以前から、私が大学で学んだインド哲学において最も感銘を受けたのは、仏教の「生老病死」の教えだとお話ししていますが、障害があればこそ「生老病死」の意味を実感できないでしょうか。
「生老病死」の教えとは、人間は生まれる苦、年老いる苦、病気になる苦、最後に死ぬ苦、この四つの苦からは逃れられないとする教えです。
ここで言う、仏教における苦とは、苦しみというよりは「自分の思うようにならないこと」という意味です。
健常者として五体満足に生きることを否定はしませんが、漫然と生きていても無意味です。
それよりは、不自由があるからこそ気付きを大切にし生きていきたいものです。
仕事は無理なく。
それは実は健常者も障害者も同じなんですよね。
しかし、障害を持つ者の方が不自由があるために、生きるということに意欲的になれるのではないでしょうか。
私は無理をして生きるのは、もうやめました。
これからは無理なく、本当に自分に合った有意義な人生を歩みたい。
今まで障害が放置されてきましたから、これからが本当の私の人生です。
漫然と生きるのではなく、学び、気付き、思考する。
障害者として生きる時、このことを主眼として生きていこうと思います。