昨日の続編的な内容になります。
自閉症スペクトラム障害が診断されてから、私の両親に対する感情は変化しました。
毒親という言葉がネット上などでもよく見られるようになっていますが、虐待やネグレクトなどの仕打ちをする親のことを、毒親と言いますね。
私は、それを”積極的毒親”と呼ぶのだと思います。
そう考えると、私の両親は「消極的毒親」ですね。
暴力はもちろん、虐待されたであるとか、ネグレクトなどの仕打ちを受けた訳ではないのですが、両親と私の距離が近すぎたために「消極的毒親」に支配されていたのだと考えています。
両親と私との距離が近すぎた理由はいくつかあります。
一つは、私の両親はなかなか子どもに恵まれず、私も無事に生まれてこれる保障がなかったこと。
二つめは、両親はかなり真面目な性格で、自分たちの子育てにおいて失敗を許さなかったこと。
よって、私に失敗を許さなかったこと。
三つめは、経済的に苦しい家庭で、その余裕のなさから私との関わり方が不十分だったこと。
他にもまだまだありますが、主なところでは、この三つでしょうか。
一つずつ詳しく見てみましょう。
一つめの問題点について。
なかなか子どもに恵まれず、ようやく生まれた私を溺愛しがちなのはわかりますが、距離感が歪で必要以上に近すぎるのは如何なものかですね。
つまり、両親が一方的に自分たちの気持ちだけを私に押し付けているでしかないということです。
二つめの問題点について。
クソがつく真面目な人間というのは、それが度を越せば迷惑でしかありません。
真面目な人間は、それが正義だと信じて疑わず、一種のカルトに暗示をかけられ、騙されているのに等しいということに気付かなくなる。
正義と信じていることを、容赦なく相手にぶつけてくるという間違いをしてしまうのです。
三つめの問題点について。
人間の生活は経済状態に左右されますが、それにしても、心まで切り詰めてはなりません。
心まで切り詰めたことが、両親の最大の失敗でしょう。
これら三つの問題点を挙げて整理してみると、私に対する精神的な余裕のなさという結論が導き出されます。
精神的な余裕のなさから、両親は「消極的毒親」になっていったのでしょう。
私との距離が近すぎるという点では、消極的ではなく、積極的な毒親だったとも考えられます。
行き過ぎた過保護は毒親の常套手段です。
過保護。
これは私の両親に大いに当てはまると言えます。
経済的に苦しかったので、好きな物をなんでも買ってもらえるということは全くなかったのですが、経済的に苦しいことで歪んだ過保護になっていったのだと思います。
物質的に十分なことができない部分を、卑屈な過保護で埋め合わせようとしてきたのです。
必要以上に心の距離が近すぎる。
何でも先回りして支配しようとする。
自分の正義を押し付ける。
歪んだ過保護で抑えつけようとする。
歪んだ過保護を振りかざす「消極的毒親」ですね。
暴力や虐待でなくても、歪んだ関わり方や、その背後にある精神的な距離感の歪みが子どもを苦しめ、積極的な毒親にはならなくても消極的な毒親になり得るのです。
私も50代になって、こんなことで悩みたくはありません。
もしかしたら、私自身が消極的毒親に依存し、心の距離を十分に取ってこなかったのかも知れません。
もう、うんざりですね。
ところで、ネグレクトという言葉は、育児放棄に限らず、保護や介護を必要とする高齢者をぞんざいに扱うことに対しても用いられるようですが、そういう意味では私は今後、高齢になった母に対してネグレクトをしてしまうかも知れません。
でも、それは母の自業自得ですね。
積極的ではなくても、消極的なネグレクトをしてきたとも言えるので。
私を独立した一個人として認めず、支配し、歪な過保護の管理下に置き続けようとしてきた。
自由を奪い、檻の中に閉じ込め、自立を奪おうとするのは、無視したり世話を怠るネグレクトとは相容れないようですが、無視や世話の放棄を積極的なネグレクトとするならば、反対に経済的に不十分な支援しかできないのに、過剰に関わろうとして独立した子どもの心に土足で踏み込んでくることは、消極的なネグレクトと言えるのではないでしょうか。
冷たく突き放すのを積極的なネグレクトとすると、逆に過剰に関わろうとして心の距離が近すぎることは、消極的なネグレクトと言えるのではないでしょうか。
消極的でも、毒親からは離れることにします。
さようなら、毒親。