半グレおばちゃん

今日は半グレな私のお話をしたいと思います。

 

半グレと聞くと、反社会的勢力のことを指すと思われてしまいますが、ここでは文字通り「半分グレた」という意味で使うこととします。

 

私は50代の今になってグレました。

ただ、年齢も年齢なので、全てにおいてグレる「フルグレ」にはなりきらず、半分だけグレています。

 

私には10代の頃の反抗期がありませんでした。

だから、今になってグレることにします。

 

人間、言われたことを言われた通りにするだけの、良い子でい続けられる訳がありません。

どこかで収支を合わせなければ、精神が破綻します。

 

私もようやくグレることができるようになり、晴れ晴れした気持ちです。

 

10代の頃、本来はそこで反抗期を迎え、であればこそ健全な大人になれる時期に、私は反抗期がありませんでした。

 

とにかく勉強が大好きで、勉強ばかりしていました。

自閉症スペクトラム障害が診断された時も、主治医がこの問題に言及しています。

 

検査の結果、能力の偏りが著しく、学問向きの思考であり、学問的なことにしか能力を発揮できない。

よって、一般的な思考ができず、普通の仕事をして生きていくことが困難である。

 

このような能力の偏りによって、仕事に就くのが難しく、日常生活にも支障を来す。

日常生活にも支障があるのであれば、障害として認定できる。

 

主治医の診断と判断は、このようなものでした。

 

こういう私ですから、10代の頃、両親に反発もせず勉強ばかりしていたのでしょう。

私自身、幼い頃から認められたい、褒められたいと、無意識に考えて勉強をよくする子どもに成長したのかも知れません。

 

しかし、私が報われることはなかった。

父も母も私の障害を理解せず、父は早死にして時間切れ、母は私の障害を理解してこなかったことを反省もしていない。

父も母も、私はよく勉強をする良い子だから、何の心配もないと胡坐をかいてきた。

 

あまりにも思慮が浅すぎる。

許されませんね。

 

これからは障害者として無理せず、自分の気持ちに正直に生きることにします。

無理して良い子と思われる必要はありません。

 

本来であれば、10代の頃、幼い頃に疑似的に反抗を繰り返し、角が取れて大人になる。

このプロセスを辿るのでしょうが、私にはこのプロセスが抜け落ちています。

 

では、これからグレてやろうじゃありませんか。

半グレおばちゃんの誕生です。

 

だからと言って、犯罪に走るであるとか、反社会的な行動に出る訳ではありません。

 

気骨を忘れず、簡単には妥協しない。

これです。

 

私は元来、こういう突っ張ったところがあったのですが、それが何故、どういう風に必要なのかはわからないままでした。

 

やっと答えが出ました。

ありとあらゆるものと戦うのです。

 

私に障害を遺伝させ、生前は私にべったり依存していた迷惑な父、今も私の障害を理解せず、理解してこなかったことを反省もせず、年老いたから庇護を与えてくれと逃げ切ろうとする母。

 

この二人こそが私の最大の敵。

そう気付いたのです。

 

両親は最高の味方ですか?

それは人それぞれですね。

 

古今東西、肉親と文字通り骨肉の争いをする話は、枚挙に遑がありません。

私もご多分に漏れず、一番身近な存在と戦います。

 

そのための半グレ化です。

 

両親と戦うことになれば、自身の存在の基盤が揺らぎ、自分のルーツをどこに求めればよいかわからなくなりそうですが、そもそも自身という存在を正しく捉えられるのは自身に他なりません。

 

自身について、その存在を根底から正しく捉えられるのは自身でしかありません。

生まれ落ちた時点で、血を分けた親とも別個の存在なのです。

 

人間は誰から生まれるのでしょう?

両親でしょうか?

ご先祖様でしょうか?

 

直接的にはそうだとしても、根源的には生命は全て神から生まれる。

私はそう考えています。

 

なぜなら、地球で海から生命が誕生し、進化を遂げ、人類が現れた。

このことを考えると、地球上の全ての生命はどこかで誕生した一つの存在がルーツだと考えられます。

 

ですから、自身が両親から生まれたとするのは近視眼的な視点であり、根源的には地球に生命をもたらした神の意志から生まれたと考えるのが妥当だと思うのです。

 

私には親はいません。

神から生まれた生命体です。

 

こうして突っ張ることが、私の生き方。

突っ張ることは、良い子でいてはできないことなので、良い子は返上します。

 

良い子を返上し、反撃開始ですね。

 

今後、高齢になった母に協力する気はありません。

これで十分な反撃でしょう。

 

体力、気力ともに落ちた相手に救いの手を差し伸べない。

これ以上の反撃はありません。

 

私の障害を理解してこなかったこと、よく勉強する良い子と胡坐をかき放置してきたこと、障害を理解してこなかったことを反省もしていないこと。

これらは断罪されるべきことであり、反撃されても文句が言えるようなことではありません。

 

前々回に書いた、消極的なネグレクト手法で反撃開始ですね。

 

反撃するからには気合いを入れなくてはなりません。

反撃とは穏やかな日本語ではありません。

 

穏やかじゃなくてもいいんですよ。

大人になっても、グレていいんですよ。

 

グレもせず、良い子と言われ、勉強ばかりしていた自分からは脱却します。

半グレおばちゃんの誕生ですね。

 

全グレ、フルグレではなく、半グレ。

では、真っ当なぶん、グレていない半分はどこにあるか?

 

半分の真っ当さは、自分に正直にという部分ですね。

自分に嘘をつき、良い子のふりをする不実な人間は真っ当ではありません。

 

両親に反撃する突っ張った部分をグレているとすれば、その半分のグレていない部分は、不実で良い子のふりをするのではなく、自分に正直に生きるところですね。

 

もう100%良い子のふりをするのはやめました。

自分に正直な50%ぶんの良い子で十分です。

残りの50%は半グレおばちゃんでいこうと思います。