病院通い

昨日は、私の摂食障害のことをお話ししました。

今日は、摂食障害を含めた精神科での治療や、他の病気での病院通いのお話をしたいと思います。

 

精神科とのお付き合いはもう長いですが、中学生の頃に摂食障害を発症した時は、きちんとした治療を受けられませんでした。

 

前回お話ししたように、私の両親は1930年代生まれ、ある程度の年齢までは軍国主義的な教育を受け、高度経済成長の時代は心よりもお金、目に見えない価値よりは大きくて形あるものを求めていた世代なので、私が摂食障害を発症しても、精神科に連れていくという考えはなかったようです。

 

精神科の治療をきちんと受けられたのは、30代になってからでした。

元夫が全面的に協力してくれ、入院し腰を据えて治療を受けられたので、かなり回復しましたが、その後、離婚してからも治療は続きました。

 

離婚しても精神疾患の治療を続ける必要があったので、仕事には就けず、生活保護障害年金を頂いて生活しましたが、治療が功を奏して回復に近付くことができました。

 

そして今、自閉症スペクトラム障害が正しく診断されたことで、定期的に精神科の専門病院に通う必要があります。

 

疾患の治療というより、生まれながらの障害をサポートしてもらうために通院するといった面が大きいです。

 

このこととは関係なく、私は病院が好きです。

どこか具合が悪い訳ではなくても、定期健診のために病院に行くことも少なくないです。

 

乳がんの検診や、胃がん、大腸がんの検診で年に一度だけお世話になる病院があります。

今のところは年に一度の検診のためだけに通っていますが、いつ治療が必要になっても困らないように、それぞれの専門の病院で検診を受けることにしています。

 

検診を積極的に受ける理由はちゃんとあり、一番大きいのは父が手遅れに近い癌で死んだことですね。

 

父の自慢はほとんど病気に罹ったことがないことでした。

だから、過信したのでしょうか。

家族が口を酸っぱくして言っても病院には行かず、結果として寿命を縮めることになってしまいました。

 

父にも考えはあったのでしょうが、それにしても命を縮める結果になるようなことはするべきではありません。

 

私はこのような間違いをしたくないのです。

 

例えば、大学で学んでいたインド哲学における、仏教の「生老病死」の教えに対する私なりの解釈はこうです。

生まれてから死ぬまでの間には、年老いることと病むことしかない。

 

病気ならない人間はいないということです。

 

よって、病気になることを前提に年を重ねていかなくてはならず、寧ろ先手必勝の心構えで病気の早期発見に努めるべきという考えから、病院が大好きで検診に行きますし、少しでも体調に変化があると病院に行くことにしています。

 

年を取らない人間がいないように、病気にならない人間もいない。

この仏教における「生老病死」の教えを胸に、病に対して先手必勝であるために、今年も早くも検診を予約しています。

 

私は子宮頸がんの経験もありますが、定期健診でごく早期に見つかり命拾いしました。

難治性の癌や早期発見が難しい癌はもちろんありますが、日本人に多い癌であれば、早期発見が可能な検査技術は整っていると言えます。

 

話を戻すと、今は生まれながらの障害がようやく正しく診断され、大変良いことだと考えています。

己をきちんと知ることが、正しい道に進む最良の方法です。

 

そう考えると、50代になるまで障害が診断されず、理解もされてこなかったことに対しては納得できない思いがあります。

 

なぜ、父も母も私の障害を正しく知ろうとしなかったのか。

時代のせいにしてはなりません。

 

無知は人間を不幸にしかしません。

事実、父は無知と過剰な自信で手遅れに近い形で癌が見つかり、命を落としました。

 

両親が私の障害を理解しなかったことも、父が早死にしたのも、私にとっては全てが反面教師です。

学ばない、時代のせいにする、過剰な自信に凝り固まる。

これらは真実から目を逸らす愚行です。

 

こういう愚行を受け継がず、正しく事実を捉え、未来に繋げるためにも私は病院通いを続けます。

 

それでも、若い頃は病気が発見されるのではないかと考えると怖いと思うことの方が多かったのですが、精神疾患で大学病院の閉鎖病棟に入院したり、癌の手術を経験したり、今でも年に一度とはいえ、癌の経過観察のための検査を入院して受けなくてはならなかったりと、病院との縁が切れないことは私を強くしました。

 

心身ともにタフになりましたね。

 

他にも、薬に対するアレルギー体質で、精神疾患の治療薬が合わず、スティーブンス・ジョンソン症候群という病気で、これも大学病院に入院して治療した経験があります。

 

検査も含めると何回入院したかわからないくらいです。

大学病院だけでも、治療で三回。

検査は毎年ですから、大学病院とのご縁もなかなか切れません。

 

私がブログ以外でネットで主に活動するTwitterにおいて、フォロワーさんに尋ねられました。

くじけそうになったことはないのかと。

 

全くありませんね。

 

前述したように、そもそも両親にでさえ自分の障害が理解されないまま大人になったので、多少のことではへこたれません。

様々な治療を受けてきたことで、ますます強くなったという感じですね。

 

へこたれている暇もないのです。

 

病院に通うたびに強くなってきたと思います。

 

こういった理由で私は病院が好きなんです。

 

これからも、病院通いは続きます。

それが必要なくなるのは死ぬ時ですね。