腹痛で病院に行ってきました

 前々回「病院通い」のタイトルで病院について書きましたが、今日は本当に病院に行ってきました。

定期的に、自閉症スペクトラム障害をサポートしてくれる精神科の病院に行く他にも、子宮頸がん後の経過観察で大学病院の婦人科に通ったり、今は歯医者さんにも通っているので病院とのご縁はなかなか切れないですね。

 

私は病院が好きなんです。

もっぱら患者の立場で通っていますが、高校生の頃、途中までは医学部を志望していました。

 

私は精神科医になりたかったのです。

自閉症スペクトラム障害が診断されたのは、つい最近のことですが、生まれながらの障害だということ以外にも、私は精神病気質です。

 

今は病状は落ち着いていますが、自閉症スペクトラム障害をサポートしてくれる病院で、双極性障害の薬は処方されています。

 

ところで、今日の通院の理由は腹痛でした。

一週間ほど前から、背中、腰、左脇腹が痛み、我慢できなくなったので総合病院の消化器科を受診しました。

 

実はこの病院、四年半ほど前にも同じような症状で受診しています。

やはり左脇腹が痛み、家の中で転げ回るほどでしたから、今日よりは重症だったと言えます。

 

今日はいろいろな検査を受けました。

前回と同じように、血液検査とCTの検査に加え、腰が痛いのであれば腎臓の病気も疑われるということで、尿の検査も受けましたね。

 

血液検査も尿の検査も異常はなく、CTの検査でも異常はなし。

ただ、CTの画像はそれを見る専門医もいるとのことで、専門医がもう一度確認した結果を後日聞きに行くということで帰宅しました。

 

不思議なもので、検査結果を聞き安心して帰宅すると、気のせいか痛みが和らいでいるようです。

 

でも、病院って恥ずかしいこともありますよね。

私は体重を測定されるのが一番恥ずかしいです。

 

過去の投稿「おばさん体形」(2月1日の回)のタイトルで書いた通り、50代に入りすっかり太ってしまった私は、体重測定はかなり恥ずかしいです。

「服のぶん、1kg引きますね」と看護師さんに言ってもらえても、おばさんになり増えた体重を見られるのは恥ずかしいですね。

 

体形も体重もおばさんになりましたが、気持ちはまだまだ女心が残っているようです。

 

今日の通院で体重を計らなくてはならない理由は、CTの検査で造影剤を注射するので、その量を体重を元に正確に把握しなければならないからとのことでした。

きわめて正当な理由ですから、恥を忍んで体重測定を受け入れるしかありませんね。

 

体重測定と言えば、自閉症スペクトラム障害をサポートしてくれる精神科の病院でも体重測定があります。

毎回、通院のたびに体重を計られます。

今は落ち着いていますが、元は摂食障害もあった私の体重を逐一チェックすることは、欠かせないことらしいのです。

 

純粋に医学的な必要があるとはいえ、やはり体重測定は恥ずかしい。

全女性の皆さんもそうではないでしょうか。

 

病院に行くたびに思うことは、前述のように高校生の途中までは医学部を志望していて、そのまま医師になっていたら私の人生はどうだったろうということです。

 

国立大学を志望していたので、当時の共通一次試験対策で国語も力を入れて学習する必要があり、古典も勉強していましたが、その古典文学との出会いが私の人生の針路を変えました。

 

古典文学に描かれる「無常観」に魅せられ、それを追究する学問にはどんなものがあるか考えていくと、大学で専攻することになるインド哲学に行きついたのです。

 

インド哲学の領域は多岐にわたりますが、私が追いかけたテーマは主に仏教の教えでした。

 

仏教は仏の慈悲が大きなテーマです。

それは実は医学にも必要なものの見方で、人はなぜ生きるのか、どう生きてどう死ぬべきかについては、医学が発達したからこそ重要な問いかけになっています。

 

或いは、医学が進歩しても未だ治療が困難な病気は多く、死をどう受け入れるべきかについては、宗教的な観点、仏教的なものの見方が大切になる場面も少なくありません。

 

そこに出てくるのが、私が学んだインド哲学の世界観ですね。

生きるとは何か、死ぬとは何か、病に倒れた時に人間が求めるものは何か。

 

この問いかけに対する答えのヒントが、インド哲学の世界にはあるのです。

医学の技術と両輪になって、人が求めるのはこういう心の部分ではないでしょうか。

 

ですから、医学部には進学しませんでしたが、本質的なことは文学部でインド哲学を学んでも同じように触れることができたと思います。

 

今日は病院に行き、検査結果を聞くのを待つ間、そんなことを考えていました。

 

何度も入院経験があり、癌の手術も経験しているので多少ことでは動じませんが、それでもやはり検査結果を聞くまでは不安がありましたから、そういう時に学生の頃に学んだインド哲学の魂のようなものに縋っていました。

 

ただ、今日で100%結論が出た訳ではなく、後日、画像診断の専門医の目を通した確認が終わり、そこで問題がないと判断されるまで、本当の結論は持ち越しです。

 

とは言え、今日診察してくれた医師によれば、ほぼ問題ないということでしたので、あまりくよくよせず過ごしたいと思います。

 

それにしても、病院で体重を計られるのはやはり恥ずかしいですね。

これさえ省いて頂けたら、大好きな病院通いがますます楽しくなるのですが、そうも言っていられません。

 

体重を気にするほど太れるのは健康ということなのでしょうから、甘んじて受け入れ、病院通いも楽しく続けていきたいものです。