おしゃれをすることは、女性の楽しみです。
最近は、若い世代を中心に男性もおしゃれな人が増えました。
私も、若い頃はよくおしゃれして出歩いていたものです。
でも、それは心身共に鎧をまとうことでした。
着飾ることは、自分を表現することです。
私に自閉症スペクトラム障害があることは、ここでも再三お話ししてきました。
最近になって診断された障害は、両親に正しく理解されたことはなく、父はずいぶん昔に死にましたが、未だ生きている母は、私の障害を理解してこなかったことを反省もせず、今の私に共感もしてくれません。
そもそも、両親は私を正しく理解し、それに沿った接し方をする気もなかった。
このことを、私はかなり幼い頃から気付いていたのだと思います。
最初から、幼い頃から、私は両親を見限っていたのでしょう。
両親のことを信頼してはいなかったのでしょう。
ですから、心に壁ができていました。
壁を作って自分を守ろうということですね。
その壁を作ることの一環で、若い頃の私は派手な服装で生活することが多かったのです。
私の育った家庭は貧しく、経済的にかなり苦しい環境でした。
戦時中のスローガンではありませんが、家の中には「欲しがりません、勝つまでは」の雰囲気がいつも漂っていましたから、それに対する反発もありましたね。
きれいな洋服を着て、髪形を整えたりすることは贅沢なことであり、くだらないことに現を抜かしている。
両親からのこのような締め付けがあったので、若い頃の私は反発し、派手な服装や髪形で過ごしました。
反発したり、自分が正しく理解されないことに対する憤りを感じたり、その心の現れが派手な服装をすることだったのです。
心の鎧ですね。
もちろん、服装は最もわかりやすく目に付くことですから、外見上も身体的にも鎧をまとうということになります。
派手なおしゃれは、心身両面での鎧。
私は高校から私服通学の学校に通いました。
何度か申し上げているように、私は札幌にある札幌南高校の卒業生です。
札幌南高校の校訓は「堅忍不抜・自主自律」です。
学校生活は生徒の自主性に委ねられ、校則もほとんどなかったように記憶しています。
こういう高校に通っていましたから、女子生徒の多くは服装や髪形に気を使い、各々が好きなファッションで高校生活を送っていました。
この頃の私は、そんな同級生に大いに刺激を受け、おしゃれを楽しんでいましたが、そこに私を正しく理解もしていない両親から横槍が入ることも少なくありませんでした。
派手な服装で通学してはならないと言うだけではなく、毎日服を変えて行くのも良くないことであると、私の服装に文句をつけたりであるとか、とにかく締め付けが厳しかったので、ますます反発を強めました。
10代の少女に、必要以上におしゃれを止めるよう要求することは理不尽です。
このことから、高校生、大学生の頃はかなり服装が派手になりましたね。
理不尽や無理解と戦うために、私は派手な格好をしていました。
それは、心にも体にも鎧をまとうことに他ならないことだったのです。
そんな私は今でも、何かと既存のものに対して反発することが多いです。
50代になってやっと自閉症スペクトラム障害が正しく診断され、今後は障害がある者として生きていこうと思うので、今は障害者枠でできる仕事をゆっくり探す毎日ですから、比較的のんびり過ごしています。
ですから今はおしゃれをすることは、ほとんどなくなりましたが、両親との相性が悪く、正しく理解もされず、理不尽な締め付けを受けたことで芽生えた反骨の気概は忘れずに、心の中はおしゃれを忘れずにいようと思います。
既存のものに阿ることなく、反骨の気概を忘れないことこそが、おしゃれなことです。
心のおしゃれ、心には鎧をまとい、いつまでも気骨を忘れずにいたいものです。