怨憎会苦と愛別離苦とは何でしょう?

今日は、私が学んだインド哲学における仏教の教えから考えたことを書きます。

仏教の教えの中に「怨憎会苦」と「愛別離苦」という教えがあります。

それぞれ「おんぞうえく」「あいべつりく」と読み、「恨んだり憎んだりする者、嫌いな相手と出会う苦」と「愛する者と離れなければならない苦」という意味です。

 

私は大学でインド哲学という学問を学んでいました。

インド哲学の領域は多岐にわたりますが、インド哲学とは何かざっくり言うと、古代からインドで説かれていた哲学のことであり、インドの神話や仏教、ヒンドゥー教など宗教的な思想も含めて研究する学問です。

 

私が特に関心を寄せていたのは、仏教についての研究でした。

そこで最も感銘を受けたのは「生老病死」の教え、人間は生まれる苦、年老いる苦、病になる苦、死ぬ苦、この四つの苦から逃れられないとする教えでした。

 

ここで言う「苦」とは苦しみというよりは、思い通りにならないことの意味であり、人間は年老いたり、病気になったり、死んだり、自分の意思ではどうにもならないということなのですが、確かに、どんなに偉い人間でも必ず年を取りますし、病気にならない訳はありませんし、最後は誰もが必ず死にます。

 

この「生老病死」の教えにはとても感銘を受けましたが、最近は「怨憎会苦」と「愛別離苦」の教えにも考えさせられるものがあります。

 

以前から私と両親の関係や、先日診断された自閉症スペクトラム障害についてもお話ししていますが、改めて思うのは「怨憎会苦」の教えのことです。

 

父はもう病死しましたが、母はまだ存命です。

正直、母がこれからも長生きすることで周りの者が皆、不幸になる気がします。

 

母本人がそろそろ施設に入りたいと言っていたのですが、ここに来て母はまだ施設に入りたくないと言い出しているのです。

 

私から見れば、歩くことも不自由になりつつあり、会話していても受け答えがとんちんかんだったりであるとか、一人暮らしをするのは厳しくなってきました。

そこで母本人が施設に入りたいと希望していたというのに、それを撤回しようとしている。

 

かなり迷惑な話ですね。

かと言って、私や弟が母と同居するのは、まず不可能です。

 

弟は結婚して独立した家庭を持っており、私自身は、このブログでもお話ししてきたように、私の自閉症スペクトラム障害を理解せず、理解してこなかったことを反省せず、共感もしてくれない母を許すことはできません。

 

私からも弟からも介護してもらえもしないのに、施設に入ることは拒否する。

このような母のわがままに振り回されることが予想され、腹立たしい気持ちです。

 

正にこれこそ「怨憎会苦」。

 

障害が理解されず、共感もされない。

幼い頃から躾だけは厳しくされ、その上、無駄な長生きで苦しめられる。

 

こんな母が未だ存命なのは「怨憎会苦」に他なりません。

 

そもそも、私の生まれながらの自閉症スペクトラム障害が理解されたことがなかっただけではなく、躾だけは厳しくされたことから言えることは、私と両親の相性が悪く、生まれた時点で両親との「怨憎会苦」は始まっていたのでしょう。

 

私の自閉症スペクトラム障害は、おそらく父からの遺伝です。

父は古い人間なので、診断もされず病死しましたが、相手の気持ちを読むことができず、職場に馴染めないことが多かったので、おそらく発達障害を抱えていたと思われます。

 

しかも、父は自分の夢はみんなの夢、みんなの夢は自分の夢ではないという、独善的な人間でした。

これは典型的な発達障害の現れでしょう。

自分が行けなかった大学に私を行かせようとしたり、自分の気持ちを押し付けてくる人間でした。

 

父と私の関係も「怨憎会苦」と言わざるを得ません。

幸いと言っても構わないと思いますが、父は早くに病死しました。

母にも早くいなくなってもらいたいですね。

 

しかし「怨憎会苦」の教えによれば、憎み嫌う人間ほど顔を会わせなければなりませんから、母とは離れられないのでしょうか?

いいえ、私から離れます。

もう決めました。

私から離れます。

 

「怨憎会苦」についても、大学でよく学んだものです。

学んだからこそ、そこに挑み、今までのような理不尽な人生を断ち切ろうと考えています。

 

さて、「怨憎会苦」と並ぶ「愛別離苦」の教えについてですが、私は愛する者と離れなければならず、苦しく悲しい思いをしたということが、ほぼありません。

 

それは、離れること、別れることが辛くなるような相手と出会ったことがないからであると言えます。

 

「怨憎会苦」はなくても「愛別離苦」があれば、愛する者がいるということなので、寧ろ「愛別離苦」はあった方がいいのでしょう。

 

父と早くに別れたように母とも早く別れて「怨憎会苦」を克服し「愛別離苦」と思えるような人と出会いたいものです。

 

もう50代ですが、人との出会いに年齢は関係ありません。

これからは「怨憎会苦」を克服し「愛別離苦」と思えるような出会いを掴むために邁進していきます。