今日は、私が物事を何度も確認しないと気が済まなくなってきたお話をしたいと思います。
このブログは、精神疾患や病気に特化したブログではないのですが、今のところの私の関心はやはり精神の問題にあるので、今日も精神の問題のお話をします。
今日は二度も携帯電話の問い合わせ窓口に、同じような用件で電話をしてしまいました。
昨日も同じようなことで問い合わせていました。
変なお客だと思われてしまわないか、いろいろ迷うのですが、問い合わせしてみないと不安でたまらないのです。
その他にも、出かける時は戸締りが不安で何度も鍵を確認したり、それから、住んでいるマンションの一階にある自宅の郵便受けの鍵がかかっているかも、何度も何度も確認しないと気が済まないのです。
これは、もしかしたら強迫性障害ではないでしょうか?
今日、昨日と携帯電話の問い合わせ窓口に電話をした件以外でも、以前から確認しないと気が済まないことが多いです。
強迫性障害について調べてみると、物事を何度も確認してしまう以外に、不潔が気になり手を何度も洗うとか、型通りの行動を取らないと気になってしまうとか、物事へのこだわりが強いなどと出てきました。
不潔への恐怖はありませんが、物事へのこだわりは私も強いですね。
物事へのこだわりの強さは、自閉症スペクトラム障害でも見られることです。
自閉症スペクトラム障害については既に診断されていますし、明日はそのことで病院に行く日なので、強迫性障害についても主治医に相談してみようと思います。
そこで思い出したのですが、不潔への恐怖と似たような経験はしたことがありました。
保育園に通っていた頃のことですから、もうかなり昔のことです。
保育園で座る席の椅子の木目が気になって仕方ありませんでした。
木目がお尻に移ってきて、お尻に木目が付いてしまわないか不安でたまらなかった記憶があります。
やはり私は精神疾患になりやすい気質なのでしょう。
しかし、あまり気にはしていません。
昨日もお話ししましたが、人間である以上、病気になることは誰も逃れることはできませんから、ある特定の病気になりやすいとしても、それは特別なことではありません。
血圧が高くなりやすい人、太りやすい人など、生まれつきの体質やある病気になりやすいということは、人それぞれ皆に当てはまることです。
病気になりにくい人など、いますか?
いませんよね。
私の父もそうでしたが、病気ひとつしたことがないと自信を持っていて、ある日病院に駆け込んだら進行した癌だった。
それは誰にでも起こり得ることです。
健康であることをいいことに、病院に行ったことがないと自慢する人がいますが、それは自慢するようなことではありません。
それは、病気に対するリスクが管理できないことであり、感心できないことです。
人間である以上、病気から逃れることはできませんから、それに備え賢く病院を利用できる心構えを持つことこそ、自慢できることです。
このように、精神疾患に罹りやすいことは特別問題があるようなことではありませんから、どんどん主治医に相談したいですね。
ところで、究極の選択について考えてみました。
私は精神疾患以外にも子宮頸がんに罹ったことがあり、子宮を全摘していますが、未だに経過観察が必要で、この件でも定期的に通院したり、年に一度は入院しての検査が必要です。
精神疾患も子宮頸がんも、まだまだ現在進行形です。
精神疾患になるのが辛いか、癌になるのが辛いか。
どちらも辛いですが、私は癌になった方が辛かったと言えば辛かったですね。
前述のように、私は保育園児の頃から精神疾患気質であり、なんとかうまく付き合ってこれた部分が大きいですが、癌に関してはなぜ罹ったのかもわからず、うまく付き合う方法がありません。
癌は今や日本人の二人に一人が罹る、珍しくはない病気になっています。
私もご多分に漏れず癌に罹った訳ですが、いつ、どこに、どんな風にまた再発してくるかわからない怖さがあります。
直接の死因にもなり得ますから、精神疾患より手強いと考えています。
そうは言っても、永遠に生きる訳ではないですし、死ぬまで生きるしかありません。
昨日の「生老病死」の話のように、年老いない人間もいなければ、病気にならない人間もいませんし、もちろん死なない人間はいませんから怯えることはありません。
私のこの精神的なタフさは、若い頃、大学生の頃に学んだインド哲学の魂「生老病死」に根源があります。
どんな時も平常心あるのみです。