以前から私には自閉症スペクトラム障害という障害があるとお話ししてきましたが、今日はそれで困ったこと、逆に強みに変えていることについて書きたいと思います。
自閉症スペクトラム障害をはじめとする、発達障害の概念は比較的新しいものですよね。
私の主治医によれば、この概念が一般的に知られるようになったのは、この数年ほどくらいのことらしいです。
私の自閉症スペクトラム障害が診断されたのも今年に入ってからで、それまでは自分の障害に気付きませんでした。
では、何も困ったことがなかったのかと言うと、そうではありません。
仕事が長続きしないことが一番困ったことで、検査を勧めてくれた主治医もそこに着目していました。
そこで受けた検査の結果、自閉症スペクトラム障害が診断された訳ですが、私の一番の問題は、一般的な人と認知のずれがあることです。
認知のずれがあるので、業務を行うための指示を出す方と、それを受ける私の認識が異なり、指示されたことができないという結果に繋がっていました。
一般的な業務を行ううえで深刻な認知のずれがあり、業務がこなせない。
認知のずれ以外にも、こだわりが強かったり、業務の進め方で融通を利かせるのが苦手であるなど、業務に支障が出て、とにかく仕事をするうえで非常に困難なことが多いです。
社会生活上、著しい不便があり、仕事ができなければ生活も立ち行かなくなってしまう。
こういう点に着目した主治医は、自閉症スペクトラム障害と診断したのです。
自閉症スペクトラム障害、発達障害がある方で困ったこと、どんなところに障害が出ているかは、人それぞれだとは思います。
私は意外と人とのコミュニケーションでは困ったことはありません。
ネットを離れたリアルな私は、聞き上手で人当たりがよく、コミュニケーションは寧ろ得意です。
コミュニケーションは得意なのに、認知のずれがあったり、こだわりが強くて自分の周囲と繋がることに困難がある。
その上、得意なことと不得意なことの差が大きく、得意なことは人の倍できても、不得意なことは人の半分もできない。
だから、一般的な簡単な業務もこなせないのでしょう。
それが最も困っていることです。
精神疾患で入院していた頃、まだ自閉症スペクトラム障害は診断されていませんでしたが、このようにも言われていました。
私が〇に見えているものは、他の人には◇に見えている。
自閉症スペクトラム障害がある以外にも、私のパーソナリティーはかなり特異なもののようです。
周囲との認知のずれがあり、ものの見え方も違っている。
自分でも相手の考えていることがわからない、相手も私の考えていることがわからない。
こうしてすれ違うので、孤独を感じることもあります。
私には理解者がいないと思うこともあります。
では、特異なパーソナリティーの持ち主で、自閉症スペクトラム障害があると、困ったことばかりなのでしょうか?
そんなことはないと考えています。
今の主治医も、私の特異なパーソナリティーは一点もののような魅力があり、他の人にはない個性を強みに変えれば、誰にも真似のできないものを作り出せる可能性があると言ってくれています。
私もそう思います。
人と違っていること、誰にも真似のできない個性があることはいいことなのです。
主治医によれば、私の適職は学者か芸術家なのだそうです。
障害者枠で仕事を探し、福祉の相談窓口の方にこのことを話したら、それは職業として成り立ちにくいものですねと言われましたが、その通りだと思います。
でも、挑戦するのは自由ですし、趣味にしてもいいではありませんか。
芸術家なら、文章を書くのが好きなので、今は小説を書く準備をしています。
尤も、一般的な人との認知のずれがあるので小説を書くにしても、私が描きたい世界を読み手に伝わるように書くのは至難の業です。
しかし、そうであるからこそ挑戦のし甲斐があります。
人との認知のずれがあることは心得ていますから、そこに気を付けて物語を書くよう努めればよいのです。
或いは、私の個性をそのまま生かし独創的なものを作る気概を持って、物語を作り上げてもいいですね。
障害があっても、それをプラスとできるか、マイナスに向けてしまうかは自分次第です。
自閉症スペクトラム障害が診断されてからの方が、毎日を生き生きと過ごせています。
今まで仕事がうまくいかなかった原因がわかり、それがわかったので対策を立て、自分が進むべき道が見えてきたのですから、私にとってはいいことずくめとも言えます。
障害があろうがなかろうが、物事を、自分の人生をプラスに変えられるかマイナスの方向に甘んじるかは、自分の心が決めるのです。
私は断然プラスの方向に向きますね。
それ以外は考えられません。
自閉症スペクトラム障害がわかる前から、物事に対してプラス志向でしたが、障害がわかってからは更にプラス志向が強くなりました。