どうしてこんなにタフなのか

今日は、私のしぶとさについてお話ししたいと思います。

最近はあまり使われなくなった表現でしょうか?

私はかなりタフです。

大抵のことでは挫けませんし、いついかなる時も前進し続けます。

 

今年に入って自閉症スペクトラム障害が診断された時も、その障害と付き合って生きていかなければならないと判明した時も、落ち込んだり嘆いたりはしませんでした。

寧ろ障害があることに誇りも感じています。

 

障害があるからこそ、一般的な人には見えないものが見え、気付けないことに気付けると思うからです。

障害があっても、人間は残った能力で足りない能力を補うことができる。

そう考えていますから、自身の障害を嘆いている場合ではありません。

 

もう50代ですから、今まで本当にいろいろなことがありました。

 

時系列に沿って考えてみると、精神疾患に罹ったり、離婚したり、癌の手術を経験したり、そして、生まれながらの障害、自閉症スペクトラム障害があると診断されたり。

公には書きたくありませんが、これらのこと以外にも、困難だったことは枚挙に遑がありません。

 

何度もお話ししていますが、私の精神疾患は小学生の頃に始まっていました。

その後、中学生になり摂食障害を発症しましたが、両親は治療を受けさせてくれませんでした。

 

私の両親は1930年代生まれの古い世代ですが、それにしても無知が過ぎます。

母は今でも私の自閉症スペクトラム障害に理解がなく、理解してこなかったことを反省もしていません。

 

こんな人とは絶縁するに限ります。

母にこれ以上関われば、私の人生は破壊されてしまいますから。

 

精神疾患の治療は、結婚してから元夫が受けさせてくれました。

元夫は、別れてしまいましたが素晴らしい人でした。

卑しい育ちの私にも共感してくれましたし、二人で話し合い、互いの苗字を変えない結婚の形、事実婚夫婦別姓の形にも協力してくれました。

 

それでも、別れる時は別れますね。

あんなに理解し合っていた同士でも心と心がすれ違って、共に暮らせなくなってしまい、私が家を出ました。

 

精神疾患の治療はまだ続いていましたから、当時の主治医の勧めで障害年金を受給し、生活保護も頂きながら一人暮らしを始めた訳ですが、人によっては生活保護に抵抗がある方もいますよね。

 

扶養照会の問題などで、親族に生活保護の申請自体、知られたくないであるとか様々な事情があるようです。

私は全くそうは思わなかったですね。

このことからも、私はタフと言えるのでしょうか。

 

ちょっとやそっとのことでは、へこたれませんよ。

 

離婚してからも精神疾患の治療は続きましたが、癌にも罹りましたね。

子宮頸がんに罹ったので、子宮は全摘しました。

今も経過観察中です。

 

これも人それぞれで、子宮がんの場合、子宮を摘出することで自身の女性らしさが失われるとダメージを受ける方もいらっしゃいますが、私は全く気にしませんでした。

 

私は図太いのでしょうか。

図太くはないですね。

図太いという表現は、相手に共感できず何事に対しても、馬耳東風な態度を取る無神経な者を表す表現です。

 

私は人様の忠告を馬の耳に念仏で聞き流すほど、無神経ではありません。

人様の忠告を聞き入れるからこそ、揺ぎなき自信を持ちタフでいられるのです。

 

さて、これら全てのことを私は人生の肥やしにしてきました。

 

精神疾患や癌になったからこそ、自身の心身をいたわることを知りましたし。離婚を経験したからこそ、二人で力を合わせて生きる尊さや、一人で生きていく大変さがわかるようになりました。

 

子宮頸がんは未だ経過観察中ですが、再発したらどうしようとビビることもないです。

くよくよする方が、ストレスが溜まってよっぽど再発に繋がりますよ。

 

私はブログ以外では、ネット上では主にTwitterを中心に活動しているのですが、親しく交流してくれる方々の多くは精神や健康の問題で困ったことを抱えている方です。

 

タフな私の務めは、この仲間たちのために戦うことなのではないかと考えています。

強い者は弱い者のために戦えるからこそ、その強さを与えられて生まれてくるのだと思うのです。

 

機会があれば、福祉の分野で何かを務めたい気持ちもあります。

今はまだ、福祉のお世話になって生きる身ではありますが、いつかは恩返しできたらいいなと考えているのです。