今日は、精神の病院の通院日でした。
今通院している病院は、自閉症スペクトラム障害を診断してくれた病院であり、一旦回復していたものの悪化の兆しがある双極性障害や、強迫性障害の治療を受けています。
また、生活保護の申請を準備しているので、病院に常駐しているケースワーカーさんに書類の書き方を確認して頂きました。
以前は北海道大学病院の精神神経科で治療を受けていたのですが、入院治療、通院治療を経てかなり回復したのでそこでの治療は一旦終了しました。
しかし、その後、検査を受けてわかった自閉症スペクトラム障害のサポートを受けたり、また悪化の兆しがある双極性障害などの治療を受けるために、札幌の民間の病院に通うようになりました。
札幌の中でも老舗に入るそこそこの規模の病院ですね。
私はこの病院との相性がいいようです。
治療の方針や自閉症スペクトラム障害との付き合い方、生活保護の申請など福祉の利用についても、主治医をはじめとするスタッフが丁寧に対応してくれています。
私は病院が好きなんです。
治療もそうですが、検査を積極的に受けるのが好きですね。
子宮頸がんに罹ったこともありますが、定期的な検診で見つかり、早期発見早期治療で今もピンピンして生きています。
病院には積極的に行った方がいいですよね。
子宮頸がんに罹っても、命拾いして元気に過ごせていることで、そのことを実感します。
ただ、早期発見で治療できたとは言っても、癌であることには変わりがないので、これからも何年間かは経過観察は続きます。
無病息災というより万病息災といったところでしょうか。
何か気になるものを抱えているから、用心して検査を受けたり経過を観察してもらえます。
人間はどんなに健康自慢な人でも、必ず病気になります。
それが原因で死ぬこともあります。
無病息災で健康を過信するのではなく、万病息災で自分の健康を常に確認する方が、正に健全な生き方ができるのではないでしょうか。
今の私は、精神の病院や子宮頸がんの経過観察で定期的に病院に通い、病院詣でをしているようなものです。
健康を過信して病院に行かないのは、自慢でも何でもありません。
病院に行かないことを自慢することは、自分の健康管理ができていないと宣伝しているようなものですね。
できれば病気にはなりたくありませんが、生身の人間である以上、病気になることは避けられません。
そうであれば、病院との付き合いを楽しんだ方がいいです。
私は病院が好きです。
もしかしたら、病院が職場になっていたかも知れませんし。
幼い頃から精神病気質だった私は、精神科医を目指しました。
高校に入学して志望したのは、医学部でした。
高校生の途中までは医学部を目指して勉強していましたね。
それが、今では医師として働くのではなく、患者としてお世話になる方に回ってしまいました。
医学部に行かなかったのは、進路の希望を変更したからなのです。
私は北海道大学の卒業生ですが、文学部でインド哲学という学問を学んでいました。
このインド哲学を学ぶために、医学部には進みませんでした。
しかし、実は医学とインド哲学には共通点のようなものがあります。
インド哲学の中に登場する「生老病死」という教えがあるのですが、これは、人間は生まれることも苦、年老いることも苦、病気になるのも苦、最後に死ぬことも苦であり、これらの苦からは逃れられないとする考え方です。
つまり、生まれたからには、年老いない人間はいない、病気にならない人間はいない、死なない人間はいないということであり、そういう意味では全ての人間は平等であると考えられます。
医学においても、全ての人間は病気になるということを前提に、様々な治療法が研究され、人間は全員が病気になり得る者として、或いは病気に罹った者として平等に扱われます。
全ての人間は平等に病気になり得る存在であるという考え方が、インド哲学と医学に共通する人間の捉え方です。
この共通項に気付けたので、医学部に行かず文学部に進み、インド哲学を学んだことに悔いはありません。
大学で学んでいた頃、まだ若くて健康だった頃から私自身も変わりました。
癌を経験したり、精神疾患を治療しながら、生まれながらの障害・自閉症スペクトラム障害が診断されたり。
こうして書いていると、病気がちな印象に取られるかも知れませんが、決してそのようなことはありません。
前述したように、無病息災ではなく万病息災という発想で、病気になることは当たり前と思えば、気が楽です。
私もごく普通の生身の人間ですから、病気になって当たり前なのです。
病気になるのは当たり前。
特段嘆くことではない。
私はそう考えています。
このことは、文学部でインド哲学を学んだから実感できることであり、医学部に進んでいたら気付けなかったことだったかも知れません。
人間は生きていれば、病気になることからは逃れられない。
病気になるからこそ人間である。
うまく病気と付き合って生きるからこそ、人間である。
そういう考え方が根底にあるので、私は病院が好きなのです。