福祉を利用して生きる~その2

以前、同じテーマ「福祉を利用して生きる」でブログを書きましたが、今回もそのテーマで書こうと思います。

 

自閉症スペクトラム障害があり、最近は精神疾患の治療も本格化した私は、すぐに働くことは困難で福祉のお世話になっています。

今日から生活保護を頂いて暮らすことになりました。

 

受給が決まるまでは、手続きのことなどで多くの方にお力添えを頂きました。

実は二度目の受給なのですが、初めて受給した時と比べて、手続きが大変だったような気がします。

 

年齢を重ねたぶん、手続きが大変だと感じるのか、通っている病院の主治医やケースワーカーさんに力を貸して頂きました。

 

今後は自分にできることを、できる範囲で取り組んでいきたいですね。

 

主治医のアドバイスは、保護を頂いて生活の基盤を安定させること。

そして、治療に専念し、私の生まれながらの障害、自閉症スペクトラム障害との付き合い方も見極めていこうということです。

治療に専念することで病状を改善させ、十分に回復すれば仕事を探しても良いのではないか。

これらが主治医のアドバイスなので、その通りに進みたいと考えています。

 

このブログも、原則、毎日書こうと思います。

文章を書くことは、私にとっての自己表現であり、外の世界と繋がる手段です。

生活保護を頂き、病気の療養に努めれば、外の世界から隔てられてしまいそうです。

外の世界との繋がりは大切にしたいですし、文章を書くことを生業にすることは、私にとっての自立の目標でもあります。

 

ブログを書くことで文章を書く腕を磨き、仕事にできれば良いと考えていますから、できるかできないかを考えるよりも、やるか、やらないか、取り組んでみるか、諦めるか。

これらの選択肢の中から、とにかく諦めずに取り組んでみることを選ぼうと考えました。

 

保護を受給しているからといって、無為徒食で過ごしていいはずはありません。

自分にできることを、できる範囲で取り組み、いつかは自立できるように努めることは、寧ろ望ましいことなのです。

 

私にとって、文章を書くことが即ち努めて進んで行くことです。

夢は文章を書いてお金を頂けるようになることですね。

 

可能か不可能かよりも、努力するかしないかの問題だと思うので、文章を書くことはやめません。

 

私以外にも、精神の障害や疾患で苦しむ仲間がいます。

皆、それぞれに努力をしていますし、福祉を利用して生きている仲間も少なくありません。

 

生活保護など、福祉を利用することは恥ずかしいことなのでしょうか?

それは違います。

 

人間は皆、必ず病気になりますし怪我もします。

人間が病気になったり怪我をするかも知れない確率は100%です。

 

こういうことに対して、貯金をすべきという自己責任主義の意見もありますが、全員が貯金できるほど高い賃金を受け取れるとは限りません。

ですから、福祉を利用して生きることは正当な権利です。

十分すぎる貯金があっても、いつかは底をついたりするかも知れませんし、何かのトラブルで全額を失うかも知れません。

 

貯金に頼ることに100%の保証はありませんが、病気に罹ったり怪我をするかも知れない確率は100%です。

 

人間は必ず病気になる。

この考え方は、以前に書いたインド哲学の話とも繋がります。

 

私は大学ではインド哲学という学問を学んだのですが、インド哲学の中には仏教の思想も含まれます。

その仏教の思想の中に「生老病死」の教えというものがあります。

 

人間は生まれる苦、年老いる苦、病にかかる苦、最後に死ぬ苦、この四つの苦から逃れられないとする教えです。

 

このように、古くからの仏教の教えにおいても「病気になる苦」は説かれているのです。

大昔から伝わる話に間違いはありません。

 

人間は必ず病気なるからこそ人間であり、それを支えるために福祉があります。

その福祉を利用することは正当なことであり、賢く利用して前向きに生きていきたいものです。