摂食障害の過去

昨日、無事に大腸内視鏡検診を終えて、食べられる喜びを実感しています。

検診の三日くらい前から食べられるものが限られますから、食べたいものが食べられませんでした。

検診を終え、昨日の晩ごはんから好きなものが食べられるようになり、食べられる幸せが身に染みました。

 

昨日も書いたのですが、私の父は消化器系のがんで命を落としています。

最後は水も飲めなくなり、食道楽だった父が食べる喜びを封印されて死んだ苦しみは、筆舌に尽くしがたいものがあります。

 

私はそうなってはならないと考え、定期的な検診は欠かせませんね。

 

食べられる幸せを実感するといえば、私は過去、摂食障害を治療したことがありました。

大学病院の閉鎖病棟に入院し、心身ともに治療を受けました。

 

摂食障害は他の精神疾患と比べて、体にもダメージがあります。

私の場合は拒食傾向がひどかったので、きちんと食べられるようになることが最初の目標でした。

 

生きるためには食べることが欠かせない。

このことを踏まえ、担当医の先生が私の心身をほぐしてくれました。

 

摂食障害はきちんと治療しないと命に関わります。

食べなければ人間は死にます。

私は心の中のどこかで生きることを拒絶していたのかも知れません。

 

そこを上手くほぐして頂き、私はこちら側の世界に戻ってこれました。

死んでから行く世界をあちら側の世界、生存している世界をこちら側の世界とすると、私はこちら側の世界に戻ってこれました。

 

今は摂食障害に関してはほぼ完治と言っても良い状態です。

双極性障害強迫性障害はまだまだ治療が必要ですが、摂食障害に関してはこちら側の世界に戻ってきています。

 

昨日受けた大腸内視鏡検診のように、消化器のはたらきを内科的に見て頂くことについても問題はなく、美味しくごはんを食べられる喜びを噛みしめています。

 

摂食障害から戻ってこれて、定期的な検診でも異常がなく、食べることを享受できています。

一日三食、食べることは当たり前のように感じますが、摂食障害に罹ったり、父を消化器系のがんで亡くした私にとって、食べることは当たり前のことではありません。

食べることはこの上なく有難いことなのです。

 

摂食障害に罹ったり、父を亡くしたことで、この世とあの世には境目があるのだと実感しました。

食べられることと食べられないことの間には、生と死があるのです。

 

私はこちら側の世界にまだ踏み止まっています。

 

摂食障害は治していただき、昨日終わった定期検診でも異常はありませんでした。

 

永遠に生きる訳ではありませんが、定められたその日まで私はまだ生きていて良いと許可証を頂いたようなものです。

その許可証を頂くためには食べなければなりません。

 

食べることはそのまま生きることなのです。

摂食障害だった過去から学び、これから先の未来を作っていきたいですね。