今日は精神の病院の通院日でした

今日は精神の病院の通院日でした。

一昨日は大腸内視鏡検診を受けに病院に行き、今日は治療のために精神の病院に通院しました。

 

こう書くと重病人のようですが、そんなことはありません。

今までも書いてきたように、重病にならないようにするために病院がある。

私はそう考えています。

 

精神の病院に通う理由は、生まれながらの障害・自閉症スペクトラム障害をサポートしてもらったり、双極性障害強迫性障害の治療を受けるためです。

 

主治医は様々なアドバイスをしてくれます。

 

双極性障害を改善するためには、薬を飲むだけではなく生活リズムを整えることが大切であるとか、強迫性障害を改善するためには、一つのことに囚われず他のことにエネルギーを注ぐよう心がけるであるとか、多くのアドバイスをしてくれます。

 

主治医の心遣いを感じるのは、強迫性障害を改善するために他のことに関心を向けるようにとアドバイスしてくれることです。

 

自閉症スペクトラム障害がある私は、物事に対するこだわりが強く、心配なことがあるとそちらにマイナスのエネルギーを傾けてしまいます。

心配が心配を呼び込むとでも言うのでしょうか、些細なことが気になり始めると、一つのことが百くらいにまで膨らんでしまうのです。

 

それを案じてか、主治医は些細な心配事から関心を違う方向に向けるよう導いてくれるのです。

 

その導きの一つとして、主治医は私が関心を持つことは何かを質問してくれます。

 

例えば、ブログ以外で私がネット上で活動する場、Twitterについて質問をしてくれるのです。

仲良く交流のある方とどんな話題で盛り上がるのか、私はどんな話をツイートするのか、私の興味を刺激し会話を弾ませてくれます。

 

或いは、まだ下書きですが、私が書いている小説についても質問してくれますね。

 

どんな小説を書いているのか、どこで公開する予定なのか。

主治医の質問は、私が積極的に答えられる話題に狙いを定めて飛んできます。

 

Twitterと私的な小説。

はっきり言って、どうでもいいと言えばどうでもいい、他愛ない話ですよね。

 

主治医はそこに関心がある訳ではないことは、私にもわかっています。

私が話しやすく、積極的に語ることができる話題について質問することで、強迫性障害の症状、些細なことが心配で囚われてしまうところから私の関心を逸らし、気持ちをほぐすために質問していることはわかっています。

 

主治医は、こだわりが強く些細な心配事に囚われる私に対して、気遣いをしてくれているのです。

些細なことを大きく捉えて、心配な気持ちになる私の心をほぐそうとしてくれているのです。

 

主治医の温かな気持ちが伝わってきて、この医師にはついて行きたいと強く感じています。

 

今日も、こんな感じで主治医との会話が進みました。

 

女医さんなので、ネイルの色を変えると気付いてくれたり、鞄についている小さな人形を可愛らしいと言ってくれたり、同性としても会話が弾みます。

 

精神疾患で入院して治療を受けていたこともありますし、子宮頸がんで手術したり、精神疾患の薬が合わずに入院するほどのアレルギー疾患になったり。

 

一病息災ならぬ万病息災な私ですが、今の精神の病院の主治医にはずっとついて行きたいと考えています。

次の通院も楽しみですね。