子宮頸がん後の経過

今日は病院に行ってきました。

定期的に通っている病院で、子宮頸がん後の経過観察のための検査を受けるために通っているのです。

 

結果は一歩後退しました。

 

前回の検査結果は良性の細胞だけが出たのですが、今回は一歩後退して異形成という状態でした。

異形成とは、良性と癌の境界線上にあるグレーな状態です。

 

子宮がんの前段階が異形成であるとも言えます。

この段階で、子宮がんになる前に治療する方も多いですが、私の場合は子宮頸がんの手術後、数年は問題がなかったものの、ある年の経過観察の検査で異形成を指摘され、それ以来ずっと異形成のままです。

 

一時は治療をしようかという話も出たのですが、その後持ち直し、行きつ戻りつを繰り返し、未だ治療はしていません。

担当医の先生を信頼しているので、治療する時はするだろうし、必要ない時は必要ないのだろうと、のんびり構えています。

 

ところで、前回の検査で良性になったのに、なぜ今回はまた異形成になってしまったのか。

少しだけ考えてみました。

 

今は仕事をしていないので、ストレスがかかっているとは思えません。

他に考えられるとすれば、夜型の生活が良くないのだろうかとか、食事も料理をせず出来上がったものを購入するだけなのが良くないのか。

いろいろ考えましたが、そのどれも当てはまりません。

 

人間は必ず病む存在であり、必ず死ぬ存在です。

生きることとは、一方通行で死ぬ日に向かって歩いているだけなのですから、私が今回の検査で再び異形成になったことも、そう儚むことでもないと思うのです。

 

異形成は良性と癌の間にある状態ですから、ここから再発に繋がるのか、それが原因で死ぬことになるのか、正に神のみが知ることです。

 

ある医師に言われたことですが、異形成のままで変わらないということもあり得るそうです。

 

異形成を気にして、事故に遭って死ぬかも知れませんし、他の病気で死ぬかも知れませんし、くよくよしても何の発展もありません。

 

こういう時に、若い頃、大学生の頃、インド哲学を学んだことがじわりと効いてきます。

インド哲学を学び、最も感銘を受けたことは仏教の教え「生老病死」でした。

人間は、生まれる苦、年老いる苦、病気になる苦、死ぬ苦、この四つの苦から逃れることはできないとする教えです。

 

つまり、人間は100%が病気になり、やがては必ず死んでいきます。

病気にならない人間はいませんし、死なない人間もいません。

 

そう考えると、子宮頸がん後、異形成になったくらいでくよくよ悩むことは、つまらないことだと思うのです。

 

病気になることは当たり前、死ぬことも当たり前なのです。

よって、異形成に戻ったくらいではビビりません。

 

これからも定期的な検査は続きます。

 

健康自慢で病院に行ったことがないことの方が、寧ろ危険なことのように思います。

健康を過信して、病気が進行しているかも知れませんし。

 

今の私のように定期的に検査を受けられ、注意深く見守ってもらえる方が安心しますね。

 

次回の検査は三か月後です。

これまでも三ヶ月ごとに検査を受けてきましたから、これが通常営業の状態ですね。

良性になり、検査から解放されたいとは思いますが、今のように定期的に検査を受けられる環境も悪くないと考えています。