テクノロジーがわからない

2、3日前からスマホの調子が悪いです。

充電がスムーズにできないんですよね。

少し目を離していると、充電ケーブルに繋いでいるにも拘らず、60%くらいまでバッテリーが落ちていたり。

 

取り敢えず、新しい充電ケーブルを買ってきて様子を見ています。

それでも、まだ不安定ですね。

修理が必要なのか、それとも新しい機種に換える必要があるのか。

お金もかかることなので、心配です。

 

ところで、現代ではほとんどの人がスマホを持っています。

若い人なら自由自在に使いこなし、トラブルにも対処できるのでしょうが、適応できるのは今の私世代が上限ではないでしょうか。

 

私は今50代。

私より上の世代、60代の方くらいまでが、スマホを自在に使える限度かも知れません。

それより上の、70代、80代になると、トラブルに対処することが困難な方が増えるのではないでしょうか。

私の母も、通話くらいしか使えません。

 

それでも、スマホの故障やトラブルは、若くても対処が困難なこともあると思います。

特に技術的なこと、原因がはっきりしないトラブルや故障は、携帯ショップに行かなければ解決が難しいこともありますよね。

 

スマホ、パソコン、便利なものが一般的に普及しましたが、便利なだけに何がトラブルの原因か、どうやって解決するか、判断できない時もあります。

 

スマホやパソコンの情報処理能力は、人間の限界を超えているのでしょう。

多くの情報を素早く処理し、使いこなせれば便利なものですが、便利だからこそ、何が何やらテクノロジーの迷宮に迷い込むこともありますね。

 

この2、3日の間の私が、まさにそうです。

充電がうまくできず、その原因がよくわからない。

状況は不安定で、故障か何らかのトラブルか、恐る恐るスマホを触っています。

 

最新のテクノロジーに疎いんですよね。

テクノロジーに疎くても、日常的に使うことは不自由しませんが、何かトラブルが起こればお手上げです。

 

高度なテクノロジーは生活を便利なものにしましたが、一方で物事が複雑になり過ぎてストレスの多い社会になってしまった面もあります。

 

多少は不便でも、ストレスを感じないのんびりした社会でもいいのではないかと思います。

究極ののんびり社会、農耕が始まった頃の原始的な社会でもいいような気もしますね。

 

日が昇れば起きて働き、日が沈めばゆっくり休む。

遠くにいる相手とコミュニケーションが取れなくても、目の前にいる相手との会話を楽しむ。

そんな、のんびりした生き方でもいいような気もします。

 

そういえば、昔、私が10代の頃などは、地下鉄の中では本や新聞を読むか、居眠りをしている人がほとんどでした。

 

スマホはない時代でしたから、バスや電車に乗ると、窓の外の景色を眺めたりもしていました。

 

現代では、ほとんどの人が車内ではスマホと睨めっこをしています。

もしかしたら、窓の外の風流な景色を見落としているかも知れません。

 

今さら農耕社会に戻るのは不可能だとしても、たまにはスマホの電源を切り、テクノロジーの迷宮から抜け出せば、新しい発見があるのではないでしょうか。