昨日の話の続きのようなことを書きます。
私の特技は学問です。
大学には行っても行かなくてもいいと言っておきながら、矛盾しているでしょうか?
いいえ、矛盾してはいません。
大学に行くか行かないか、そんなことはどうでも良くても、私は純粋に学問が好きでした。
人によっては、文系・理系で科目を分け、英語が得意だったり数学が得意だったり分かれる場合もあるでしょうが、私は英語も数学も満遍なくこなせます。
とにかく学問が好きなんです。
「好きこそ物の上手なれ」で、文系科目も理系科目も楽しく取り組んでいました。
大学に行ったのは結果的にそうなったという部分が大きいです。
昨日のブログでも書きましたが、私服通学の高校に通いお洒落にも興味があった私は、スタイリストになってみたいとも考えていましたが、学問も好きで勉強は苦になりませんでした。
インド哲学というマイナーな学問を志したのも、学問が好きだからですね。
高校に入学し、途中までは医学部を志望していた訳ですが、私が生まれ育った家庭は貧しく、私立大学に通うという選択肢はありませんでしたから、共通一次試験世代の私は国語も熱心に勉強していました。
そこで出会った古典文学の無常観に影響され、医学部志望から文学部でインド哲学を学ぼうと転向したのです。
こう書くと、何のことやらと思われそうです。
医学部志望、古典文学の無常観に影響される、インド哲学を志す。
私はとにかく勉強が、学問が好きなんです。
大学に進む理由は様々なものがあると思います。
就職を有利に進めるためとか、高校を卒業してすぐには就職したくないとか、大学の四年間で将来の目標を探したいとか。
私は学問が好きで、学問を修めるために大学に進学しました。
学問が好きで、得意で、優秀であった。
自慢話ではありません。
学問が得意で優秀であったと言うと、嫌みな自慢話と取られがちですが、それは違います。
スポーツが得意だとか、課外活動に打ち込んだとか、そういったことと同じではないでしょうか。
ですから、私は隠すことなく学問が得意であると発信します。
では、学問が得意で何かの役に立っているかというと、全くそうではありません。
大学卒業後、就職した会社は9ヶ月で退職し、その後はフリーターや専業主婦をしていたので、まともに働いたことはほぼないと言ってもいいでしょう。
周りの人には、こう言われていました。
とまとさんは、キャリアウーマンになると思っていたと。
そういう意味では、私は能力を活かせないまま年齢を重ねてしまったのでしょう。
しかし、その方が私らしいと思うのです。
純粋に学問が好きなのであり、それを実践に活かすことは全く別の話です。
社会の中で一般的に業務を遂行する能力は、私には欠けています。
学問のための学問しか私にはできません。
ところで、今年に入ってから私の生まれながらの障害、自閉症スペクトラム障害が診断されたのですが、検査の結果、私は極端に能力の偏りが著しいと判明しました。
私ほど能力の偏りが著しい人間は、全人口の0.4%しかいないと結果が出ましたね。
これには私自身も驚きましたが、納得もできます。
学問はかなり得意で優秀でも、一般的な業務がこなせない。
学問が得意で優秀だというのは、自慢話でしょうか?
私にそれはあてはまりません。
自閉症スペクトラム障害があり、能力の偏りが著しい私の「好きこそ物の上手なれ」が現れているに過ぎません。
学生時代に打ち込んだこと、スポーツや課外活動に打ち込んだというのと、何ら変わらないことだと思うのです。
因みに、自閉症スペクトラム障害と診断され、能力の偏りが著しい私の適職は学者か芸術家だそうです。
なかなか良いでがありませんか。
自信を持って言いましょう。
私の特技は学問なんです。