今日は幼い頃の転校と引っ越しの話をします。
私は小学校は四校行きました。
中学生になってからは、状況が落ち着き転校はしませんでしたが、小学校は四校行きました。
単純に計算すると、一つの学校に一年半くらいしか行っていないことになります。
その理由はそれだけ引っ越しをしていたからです。
幼い頃はあちこち引っ越す生活をしていました。
理由を人様に聞かれると恥ずかしいので、父の仕事の都合と答えていました。
これは間違いではないですね。
引っ越しの理由は確かに「父の仕事の都合」なのです。
私の父は甲斐性なしで一つの仕事が長続きしませんでした。
仕事をすぐに辞めて次の仕事に就くので、ほぼその度に私たち一家は引っ越していたのです。
父はなぜ仕事が長続きせず、職を転々としていたのでしょう?
父はおそらく発達障害を抱えていたのだと思います。
自分の意見は世界中の人間の意見という考え方をする一方で、世界中の他人の意見にはお構いなし。
こういう発想をする人でした。
相手の気持ちを理解することが苦手で、自分の意見だけしか存在しないかのような考え方で行動していましたから、職場で孤立するのは当然と言えるでしょう。
こういう人間は結婚して家庭を持つべきではありません。
家族が迷惑です。
私も小学校は四校も通い、人様に理由を聞かれれば恥ずかしいので、ぼかした表現でごまかししてみたり。
大いに迷惑ですね。
それでいて、引っ越しの作業を手伝う訳でもなく、全て母にしわ寄せが行っていました。
私もあちこち転校なんてしたくなかったです。
せっかく慣れて友達ができたと思っていたら、また引っ越しと転校。
子供に、家族に苦労しかかけない人間は結婚するべきではありません。
私自身も自閉症スペクトラム障害を抱えていますから、発達障害があるから結婚してはならないと言うつもりはありません。
私の父の場合は発達障害以前の話で、人間的に問題があると言わざるを得ません。
父の場合は昔の人間で、発達障害という概念もなく、サポートもケアも受けられなかった世代とも考えられますが、それにしても酷い。
自分の意見は世界中に通じるものだと信じて疑わない、独善的な価値観を持つならば一人で生きるべきですね。
今の私は離婚して一人です。
自閉症スペクトラム障害が診断されるずっと以前に離婚していますが、無意識に自分はどんな人間かわかっていたのだと思います。
分を弁えるということですね。
或いは、身の程を知るということです。
父にはこのことが決定的に欠けていました。
身の程を知らず、分を弁えず、結果的に家族を振り回し不幸にしたと言えます。
私が小学生の頃から離人症の症状が出たり、中学生になって摂食障害になったり、大人になった今も精神の問題を抱え続ける理由は、父の問題があったからでしょう。
転勤などとかっこいいものではありません。
職場に馴染めず、仕事が長続きせず、新しい仕事を求めて引っ越さなければならず、子供に転校させるような人間は、結婚して家庭を持つべきではありません。
皮肉なことに、若い頃の父の夢は結婚して家庭を持つことでした。
こんなにも皮肉なことがあるでしょうか。
人間は己を知ることが一番大切なんですよね。
私が中学生になった頃のことです。
父が職を転々としていて恥ずかしいので、なぜ仕事をすぐに変わるのか尋ねたことがありました。
すると、父は仕事を辞めなくなりました。
私に直接追及されたのが耐えられなかったのか、その後父は仕事を辞めなくなりました。
しかし、遅きに失しました。
小学生といえば、感受性が鋭く精神の健全な発達のために大切な時期です。
その時期にあちこち引っ越して、一つの学校に一年半ほどしか通えない生活をしていては健全な成長はあり得ません。
私が未だに精神の問題を抱える原因は、こういうところにあるのでしょう。
父はずいぶん前に病死しました。
母は健在ですが、高齢で弱ってきました。
しかし、父のような人間を選んで結婚し、共に引っ越すような生活をしていた母も共犯であると言えます。
もう何があっても協力したくないですね。
これからは自分を大切に、父にも母にも犠牲にされない生き方を選ぼうと考えています。