今日は、おとぎの国の話をします。
昔昔あるところに、おとぎの国がありました。
小さな国土ながら、のんびりした平和な良い国でしたが問題がない訳ではなく、その国の行く末を憂える者もいましたとさ。
ある時、おとぎの国を危機が襲いました。
王様は下下の者に向かって国の危機を宣言し、対策を講じたものの、効果はほとんどなかったのです。
それもそのはず、王様の講じた策は全てにおいて中途半端で、一部の国民を苦しめるものでしかなかったのです。
苦しめられる国民と、苦しまず何も変わらぬ生活を享受する国民に、分断されてしまいました。
王様が中途半端なことしかしなかったために、おとぎの国の住人は不信感を募らせました。
「王様の言うことなんか聞かなくていい」
「王様がだらしないから、我々は好きなことをしよう」
「王様は自分のことしか考えていないから、我々も自分のことだけ考えよう」
こうして、おとぎの国の下下の者どもは、傍若無人、無軌道に振る舞うようになりました。
信じてもらえない王様が悲劇の君主なのか?
信じられない王様を持つ下下の者どもが不幸なのか?
しかしながら、その王様を選んだのは一人一人の下下の者どもなのでした。
文句があれば王様を辞めさせることもできるのに、その手間を惜しむ下下の者は無軌道に享楽に耽るだけでした。
王様も下下の者のために働く気は、ほとんどなかったのです。
王様になり冠を被りたかっただけなのです。
下下の者どもを尊重する気はほとんどありません。
互いが互いを信じられない王様と下下の者。
王様は自分の冠だけが大切で、下下の者も目の前の享楽だけが大事。
無軌道な者しかいない、おとぎの国はどこへ行くのでしょう。
このおとぎの国には、もう一つ困ったことがありました。
過去から学ばず、それにしがみつくだけの者しかいないことでした。
過去はしがみつくものではなく、そこから学ぶものです。
王様を信じられず、享楽に耽る者どもは変化を恐れ、しがみつく過去を”伝統”と呼び、神聖化していました。
過去を”伝統”と呼び、神聖化して前に進むことを止めた者どもは、過去から学ぶことも止めてしまいました。
人間にとって学ぶことは、より良き国づくりに欠かせないことなのに、おとぎの国の住人はそれを放棄してしまいました。
王様を信じられず無軌道に振る舞い、過去から学ぶことを放棄した者どもはどこへ行くのでしょう?
そして、おとぎの国にはまだ困ったことがありました。
特権階級の存在です。
特権階級に属することは誰にでもできることでした。
おとぎの国は、とにかく年功序列。
ある一定の年齢に達した者は全て、特権階級になれたのです。
そもそも、特権階級に属することができる年齢まで生存する人口は少なかったのに、特効薬が開発され安価で出回るようにって以来、ほぼ全ての下下の者がある年齢以上になると特効薬を飲み、特権階級化していったのです。
不老長寿はおとぎの国においても夢物語でしたが、特効薬が開発されてからは、誰でも手が届くものになりました。
ところが、誰もが特権階級になってしまったのですから、それを支える労働階級が不足するようになりました。
奉公せよ、尊敬せよと、特効薬を飲んだだけで偉くなったと思い込む者どもに、労働階級は圧迫されるようになってしまいました。
特権階級とは、それに相応しい者だけがなれるものなのに、誰もが特権階級になれるなら、それは特権階級ではありません。
夢にまで見た不老長寿は、誰のための夢だったのか?
おとぎの国は、夢がかない幸せを享受できるはずの国だったのに、全く正反対に成り下がってしまったのです。
信じ合う心を失って無軌道に振る舞い、過去を神聖視するだけでそこから学ばず、特権階級を安易に増やすだけで、おとぎの国はどこに行くのでしょう。
美しい海に囲まれたおとぎの国は、海に沈んでしまうのでしょうか?
無軌道に振る舞う者は己を律して、過去から学ばない者は学び直して未来を見つめ、特権階級になりたい者は安易に特効薬に頼らず、本当の夢を見られるおとぎの国を作っていけるよう努めなければなりません。