入れ歯は嫌だ

今日は歯医者さんに行ってきました。

歯医者さんでは、歯の治療はもちろんですが歯茎の様子も診てもらえます。

 

どうやら私の歯の磨き方は不十分なようです。

治療が一通り終わった後、手鏡を持たされて歯ブラシの正しい使い方を教わりました。

 

歯ブラシを歯に当てる角度や動かし方、こする回数などについて細かく指導して頂きました。

 

この歯医者さんは、いつも混んでいます。

技術が確かで説明もわかりやすく、今日のように歯ブラシの使い方もきめ細かく教えて頂けます。

 

もし歯を抜いてしまうと、抜く歯の位置や場所によっては入れ歯になってしまうかも知れないということも教えて頂けました。

 

入れ歯、嫌ですねえ。

老け込んだ印象になりますし、手入れも大変そうです。

 

私はもう50代ですが、まだまだ老け込む年齢ではないと思うんですよね。

しかし既に老眼鏡を使い、毎月白髪染めをしていますから、十分老けてきているとは思うのですが、それでも入れ歯には抵抗があります。

入れ歯に抵抗があるからこそ、今日の歯みがき指導は真剣に聞いていました。

 

しかしながら、いつかは私も入れ歯にはなるでしょう。

できるだけ先送りはできますが、年齢を重ねれば体はあちこちガタがきます。

 

入れ歯にならなくても、既に老眼鏡は使っています。

生まれてからずっと使ってきた器官の老化は感じますね。

 

人生とは即ち老化の進行です。

或いは、病気になったり事故に遭ったりして体の一部を失い、それを補うものを身につけて生きていかなければならなくなることもあります。

 

私は初めて入院した時にそう実感しました。

当時、治療していた精神疾患の薬が合わず、極度のアレルギーに陥ったので入院して治療していました。

 

薬の副作用で全身に発疹が出たので、大学病院の皮膚科に入院したのですが、ある程度元気になってくると病院内を散歩していました。

初めての入院で、広い病院内に興味津々だったのです。

 

そこで、大きなリハビリテーション室の前を通った時、衝撃を受けました。

片脚を失った患者さんが、懸命にリハビリをしていたのです。

病気なのか事故なのか、理由はわかるはずもありませんでしたが、脚を失っても人間は生きていくために努力をしなければならないことを切実に感じましたね。

 

私がその大学病院に入院したのはかなり以前のことなので、今は違うと思いますが、業者さんらしき男性が義足を持って院内を歩いている様子も見かけたことがありました。

おそらくは入院患者さん用の義足でしょう。

 

脚を失った患者さんが懸命に歩くリハビリをしている様子や、誰の物かはわからなくても生々しい義足を見かけると、私はこう思ったものです。

 

人間は体の一部を失っても、生きられるだけは生きていかなければならないのだと。

生きていればこそ、体の一部を失うものなのだと。

生まれた時から付き合ってきた自分の体の一部を失っても、生きられるだけは生きていかなければならないのだと。

 

そう考えると、歯を抜いて入れ歯になることなど、まだまだ小さいことなのかも知れません。

私は50代になり、白髪染めをし老眼鏡を使い、徐々に失われていく機能を補って暮らしています。

生きていればこそのことですね。

そのうち、入れ歯も受け入れられる時が来るのかも知れません。

 

どんな人も必ず年を取ります。

いつまでも若い人はいません。

生きることとは何かを失いつつも、それを補う何かを見つけようとすることなのかも知れません。