発達障害、生きづらいのか生きやすいのか

今日は精神の病院の通院日でした。

毎回の通院で主治医といろいろな話をします。

今日の診察の終わりに、主治医は本を貸してくれました。

発達障害に関する本なのですが、私は発達障害の一種、自閉症スペクトラム障害があります。

 

本を貸してくれる時、主治医が本にはどんなことが書かれているか大まかに説明してくれたのですが、その時点で書かれている内容と私に当てはまる共通の事柄が見えてきました。

 

例えば、お金を使い過ぎてしまうことがある、片付けができない、出かける時に支度に時間がかかる、物を溜めこんでしまう、等々、私のためにあるような本だと思いました。

 

このような特性を持つ者はしばしば、ダメ人間のレッテルを貼られがちです。

それでは、発達障害の特性を持つ人間はダメ人間なのでしょうか。

 

そうではありません。

本を貸してくれた主治医は、専門医らしく説明してくれました。

実は上記のような特性は、人間誰にでもあるのだそうです。

それは程度の問題で、日常生活に支障が出るほどか、ほとんど支障がないほどか、その程度の違いしかないのだということです。

 

主治医自身も本に書かれている発達障害的な部分がないことはなく、それが日常生活に支障がない程度、小さいだけだと話してくれました。

 

そうなんですよね。発達障害的なダメな部分は誰もが持っています。

お金を使い過ぎてしまうのは困りますが、部屋が片付けられない人は少なくないですよね。

 

出かける前の支度に時間がかかると言っても、その時の服装にもよりますし、気分の変化でも違ってきます。

 

人間は誰もが少しずつ変なのです。

精神医学的に、明らかに発達障害で日常生活に支障が出る人から、ほとんど支障が出ない人の間で違いはあっても、発達障害の要素がない人を探す方が難しいのではないでしょうか。

 

主治医が言っていたこと、人間は誰もが少しずつ変なのであり、その程度や病気の場合は進行の度合いで治療が必要かどうかが分かれるということ。

私は癌の診断と治療のことを連想しました。

 

癌もそうなんですよね。

どこからどこまでが治療が必要で、どこからどこまでが治療は必要ないのか。

今は検査技術が進歩し、どこからどこまでが治療が必要か、かなり正確にわかるようになってきました。

 

私自身も子宮頸がん後、経過を観察しています。

子宮を全摘していますが、残った部分が高度異形成という状態になり検査を繰り返しています。

非常に中途半端かつ微妙な状況で、治療には踏み切っていません。

高度異形成とは、正常細胞と癌の間、グレーゾーンな状態です。

こういうグレーゾーンが診断されるということは、それだけ医学が進歩し白か黒かで分けられない状態も診断されるようになったからなのでしょう。

 

このように、精神の状態を診断することにおいても、明らかな重度の精神疾患と健康な精神状態の間のグレーゾーンが診断されるようになったのでしょう。

そこで生まれてきたのが、近年になって出てきた発達障害という概念なのでしょう。

 

上述のように、私の主治医も小さいとはいえ発達障害的な部分があるそうです。

発達障害、私のような自閉症スペクトラム障害という精神的なグレーゾーンがあり、明らかな重度の精神疾患ではなく、かと言って全く問題がない訳ではないという人は増えてきました。

 

私は子宮頸がん後の経過観察においても、精神の状態においてもグレーゾーンにいます。

癌の経過観察でグレーゾーンにいても、痛くも痒くもありません。

精神のグレーゾーンにいることでも、同じようなことが言えます。

 

生きやすいか、生きづらいかと言えば、確かに癌の経過観察でも正常な細胞だけが出て欲しいですが、グレーゾーンでもいいではありませんか。

それだけ健康に留意することができます。

病気にならない人間はいませんから、全くの健康体、自らの健康を過信してしまうことの方が危険です。

 

そう考えると、精神の健康についても自閉症スペクトラム障害というグレーゾーンにいることで、生きづらさを感じることはありません。

自身の個性として精神の健康に努めようという気持ちでいられます。

 

私は発達障害自閉症スペクトラム障害があることで、他の人にはない生き方ができるのだと思っています。

発達障害があるからといって、生きづらさは感じません。

寧ろ、自身の精神状態に敏感になれますから、生きやすいと思っているのです。