昨日に引き続き、今日もTHE ALFEEの夏のイベント Baby, Come Back中止について書きます。
今日は主に、このイベントの中止を受けての仲間たちの声について書きたいと思います。
私はこのブログ以外ではネット上でTwitterで活動しています。
Twitterが好きなんですよね。
多くの方が実に様々な意見を述べているので、それを見るのが好きです。
昨日、発表になったALFEEの夏のイベント中止のお知らせ。
Twitterにおいても多くのアル中の仲間たちの悲痛な叫びが目に入りました。
そこで多くの仲間は嘆きつつも、気持ちを切り替えて未来を見据えていました。
そうなんです、嘆いてばかりいても未来は開けません。
未来に向かって力を尽くすことは、ALFEEの歌の”教え”でもありますから、このような困難に直面した時に”教え”を実践しなければなりません。
そして、いつか必ず訪れるであろうライブができる時が来るまで、じっと待つという声も多かったですね。
そうなんです、待てば待つほど実現した時の喜びは大きいです。
ここで例え話をしてみましょう。
あるシンボルを祀る集まりがあるとします。
このご時世ですから、シンボルを崇める宴は控えるべきです。
しかし、そのシンボルは集まる取り巻きを待たせておくことができず、宴を強行するしかありません。
それは何故か?
答えはこういうことです。
待たせておいたら、集まる取り巻きはシンボルのことを忘れ、宴を延期すればシンボルのところに集まってくる者がいなくなるからなのです。
どうでしょう?
このシンボルも気の毒ですが、集まるべき取り巻きも不遜だと思いませんか?
こういうご時世に待ってあげることができない取り巻きと、待ってもらえないシンボル。
昨日の為政者と大衆の話ではないですが、どっちもどっちなのです。
阿呆と間抜けの馬鹿し合いなのです。
ALFEEはそうではありませんね。
待たせておいてもアル中の仲間たちはALFEEを忘れることはありません。
もちろん、待たせる側も待たせたぶん期待に応えてくれます。
待たせておけば、待たせる取り巻きに逃げられるシンボルと、待たされればシンボルを忘れてしまう取り巻きたち。
互いが互いを信頼できず、尊敬し合うことができない者同士は、どちらも惨めだと思いませんか?
ALFEEとアル中の関係は、この対極にあるものです。
ですから多くのアル中が気持ちを切り替え、いつかは再開できるライブに思いを馳せることは至極真っ当なことですし、このような信頼関係で繋がるALFEEとアル中の絆は切れることがないのです。
上述の例え話に戻りますが、表面上だけ崇められ社会の非常時においても「宴」を止めることができない存在は、ある意味惨めです。
リスクを冒してまで走り続けなければ、取り巻きを集められない者は惨めです。
いつかは壁にぶち当たることでしょう。
ALFEEは違いますね。
この非常時において潔く後退することは、とても勇気のいることです。
真の勇気とはこういうことを指すのです。
真の勇気がある者にこそ未来は開けます。
例え話に登場した、見せかけだけの関係は脆い幻ですね。
私たちの絆は堅牢無比であり、終わることのない永遠のものなのです。