大好評(?!)おとぎの国はどこに行く?の第三弾です。
今日は、おとぎの国の王様の話をします。
おとぎの国の王様は裸の王様です。
実はちっぽけな領地を、誰にも知られずひっそり治めているだけなのに、おとぎの国の王様は我は名君なりと自負しています。
それは違います。
王様は名君ではありません。
そう思っているのは鎖国をし、状況が見えていない国民だけです。
おとぎの国の王様は裸の王様です。
わかりやすく例え話をしましょう。
王様のお取り巻きは、気に入らない者の口を封じようと躍起です。
おとぎの国では、いついかなる時も王様を絶賛しなければなりません。
春夏秋冬、一年365日、王様を絶賛しなければなりません。
素晴らしい同調圧力ではありませんか。
独自の視点でオリジナリティのある挨拶すら許されません。
王様が白と言えば白と発言しなければなりません。
自分の言葉で王様に呼びかけることすら許されないのです。
そこで私は、試しに自分の言葉で王様に呼びかけてみました。
さあ、大変です。
王様のお取り巻きは、私が王様を侮辱したと邪推し当局に通報処分を申請したのです。
しかし明らかに犯罪行為でない限り、発言の自由は保障されるべきです。
民主主義が保障する最低限のことも許容しないおとぎの国。
窮屈ですね。
口当たりの良い、王様にとって都合のいい言葉だけを良しとするおとぎの国。
異なる意見は排斥するおとぎの国。
これは全体主義に他なりません。
このような国の頂点に立ち、自分にとって都合のいい言葉しか耳に入れない王様は裸の王様です。
裸の王様、恥ずかしいですね。
都合のいい言葉とイエスマンにだけ囲まれる王様は、全裸以上に裸であり、全裸以上に恥を晒しているのです。
救いようのないおとぎの国は、どこに行くのでしょう?
真剣に心配になってきます。
にも拘らず、王様もその取り巻きもおとぎの国は沈むことはないと自信満々です。
果たしてそうでしょうか?
多様な意見を認めず、表面上だけ都合のいいことしか口にしない者が集まる国に明日はありません。
そして、あろうことか、自分たちと違う意見の者は徹底的に排除する。
同じような考えの者が集まり、裸の王様という御神輿を担ぐ。
担がれた御神輿はどこに向かうのでしょう?
言うまでもありませんが、自分たちと違うからと言って追いやることは許されることではありません。
それを恥ずかしげもなく実行するおとぎの国。
昔からおとぎの国とは夢のある場所でした。
しかし、このおとぎの国に夢はありません。
そして、未来もありません。
相手の話に耳を傾ける、違いを尊重し合う。
これは当たり前のことです。
当たり前のことすらできないおとぎの国。
それを束ねる裸の王様。
更に気の毒なことに。王様は自分が裸の王様であるという自覚がありません。
自身は名君なりと信じて疑っていないのです。
もはや末期的なおとぎの国。
沈むのも時間の問題でしょう。
裸の御神輿を担ぐ愚か者に囲まれる王様が気の毒でなりません。