昨日の話の続きをしようと思います。
一旦、婚姻届けを提出していますが、どちらかが姓を変えることに不条理を感じて形式的に離婚届けを提出し、事実婚に移行していました。
しかし、実質的な夫婦の関係が限界に達して、真の意味で離婚しています。
どうして離婚してしまったのか?
発展的なコンビの解消ですね。
婚姻届けに縛られずとも夫婦として生活してきたのですから、私と元夫の絆は強固なものでしたが、人間は時間の経過とともに様々に変化してゆくものです。
婚姻届けに縛られない夫婦としての関係よりも、互いが一個人として生きることに価値を見出したので袂を分かつことにしたのです。
事実婚だったから絆が脆かったとかではないですね。
婚姻届けを出すか否かは、あまり絆の強さに関係ないと思います。
婚姻届けを出しても別れる人は別れますし、事実婚でも切れることなく夫婦生活を続けている人はいますね。
元夫は誠実で賢く、男気のある人でした。
結婚前に同棲していたのですが、お互いに同棲のままでも良かったのです。
私が結婚に対して消極的だったので、それも尊重してくれましたね。
元夫は、婚姻届けに縛られなくても私を尊重し、心身ともに守ってくれました。
私は自身が生まれ育った家庭の影響で、結婚生活に希望を見出すことができずにいました。
元夫はそういう気持ちを尊重し、結婚という形に縛られなくても幸せを掴もうという気概に満ち溢れた人だったのです。
その後二人でいろいろ話し合い、一度婚姻届けを出してみようかという話になったのでお試しで婚姻届けを出すことになりましたが、やはり何かが違いましたね。
どちらかが自分の姓を捨てることは、私たちには相応しくなかったのです。
元夫は、私の方が姓を変えたことに不条理を感じてくれていました。
ですから私と元夫には、やはり事実婚が相応しかったのです。
こういう方は多くはないのでしょうが、役所に提出する紙切れに縛られたくない。私も元夫もそう考えていたので法律婚は解消したのです。
これについては私と元夫はかなり勉強しました。
弁護士さんに相談したり、一人っ子の元夫に万が一のことがあったら、どう備えておくべきか、他にも社会保険についてなど勉強して情報を集めました。
自分たちが生きたい生き方をするためですから、苦にはならなかったです。
この勉強の過程は楽しかったですね。
一般的に社会の中の多くの方々が婚姻届けを出すのと同じくらい、二人の生活のために勉強するのが楽しいと思いました。
婚姻届けを出して家族になる楽しさと、婚姻届けを出さずに勉強しながら家族になっていく楽しさは同じです。
自分が何に対して楽しさや喜びを見出すことができるかの違いだと思うのです。
しかしながら、元夫と私は今は別々の人生を歩んでいます。
夫婦としてよりも一個人同士として生きる方が相応しいと考えたからです。
どうして私たちは実質的にも離婚したのか?
離婚してずいぶん経ちますが、発展的なコンビの解消のためですね。
結婚する前からそうでしたが、互いが互いを尊重するために離れて暮らすことにしたのです。
結婚前から互いを尊重し、夫婦として暮らしていた間も互いを尊重し、そしてこれからも互いを尊重し合うことには何ら変わりはないのです。