死んだ父から手紙が届きました

何やらホラーのようなタイトルから始まりました。

 

昨日、家の中で探し物をしていると、死んだ父が一度だけ送ってくれた手紙が出てきたのです。

てっきり、別れた元夫の家に置いてきてしまっていて失くしたと思っていましたから貴重です。

 

手紙の日付を見ると、父が亡くなる2年半ほど前のものになっていて、この頃は父自身もまだ死ぬとは思っていなかったことでしょう。

 

見つけた手紙は父らしさでいっぱいでした。

 

以前、私と元夫は一旦法律婚をしたものの、互いの姓を尊重できないことを不条理に感じて、後に形式上だけ離婚届を提出、事実婚に移行して夫婦別姓にしていたと書きました。

 

父は私たちのそういう考えを尊重してくれていたのです。

法律婚をしている間は、私は元の姓を通称として使っていました。

父はそのことを理解してくれていて、私の本来の姓・緑大木を手紙の宛名に書いてくれていたのです。(緑大木は仮名です)

 

他にも手紙の中には父らしさが多く詰まっていました。

 

父の誠実さ、真面目さ、心優しさが行間に滲み出ていました。

当時、専業主婦だった私が国民年金の手続きを忘れないよう、将来、年金の権利を失わないよう説いてくれていました。

 

私はそういう手続きはきっちりやる方なので、父の心配は杞憂に終わったのですが、確かに父の言う通りです。

若くても年金の手続きをきちんとしておかないと、困ることがありますよね。

今の私は、精神疾患を治療しながら生活保護を頂き、障害年金を受給して暮らしています。

年金は高齢になってからというイメージが根強いですが、若くても病気や怪我などで障害を負うようになれば、障害年金を受給することもあり得ます。

その時になって、保険料が未納だったり、手続きをしていないと障害年金を受給する権利がなくなったりします。

 

父の言っていたことは真っ当で正しかったのです。

 

父からの手紙を読み返して感じるのは、とても文章が上手いということです。

父はかなりの読書家でいつも本を読んでいましたから、文章に多く接していて書く方も得意だったようです。

とにかく文才がある。

これが私の印象です。

 

父がその手紙を私に送ってくれたのは、ずいぶん昔のことです。

私もまだ若かったので、手紙を受け取った当時はウザい、キモいと不遜なことを思っていました。

しかし、昨日、思いがけず父からの手紙を見つけてじっくり読んでみると、全く違ったことを考えました。

 

父の誠実さ、真面目さ、心優しさは全ての人間が持つべき心がけだと思います。

 

そして、父の文才は卓越したものです。

普段から読書をして多くの言葉に触れているから書けた文章だという印象を持ちました。

 

父の文章や言葉に対するセンスは私が受け継いだようです。

弟がいますが、弟は理系でどちらかと言うと、数学や理科のセンスがあるようです。

私は大学は文学部を卒業し、インド哲学を専攻していました。

語学の単位も、インド哲学に必要なサンスクリット語パーリ語チベット語以外にも、英語はもちろん、中国語、フランス語、スペイン語の単位を取りました。

 

語学が好きなのも、父の言葉に対するセンスを受け継いだからなのでしょう。

 

ペンは剣よりも強しとも言います。

私の武器は言葉です。

父は平和を愛する人でした。

戦うなら暴力に依らず、平和的な解決をすべきというのが持論の人間でした。

 

私にも戦うならペンを持てと、文章や言葉に対するセンスを受け継がせたのでしょう。

 

思いがけず見つけた父からの手紙。

これは何かのお守りになってくれるのだと期待しています。

 

窓から差し込む陽の光で色褪せてしまわぬよう、陽が当たらない場所にそっと置いておくことにしました。

 

手紙っていいですよね。

過去と現在を繋ぎ、未来に向かう道しるべになってくれます。

 

父は私をどこに導いてくれるのでしょう。

その期待に応えるよう努めなければなりませんね。