死んだ父から手紙が届きました~その2

昨日に引き続き、死んだ父からもらった手紙の話をします。

 

その手紙はずいぶん昔にもらったものです。

今50代の私は、その手紙をもらった時はまだ20代でした。

 

父がなぜ一度だけ手紙をくれたのかはわかりませんが、口下手で自分の考えや感情を表現することが苦手な人だったので、何かを伝えたかったのでしょう。

 

前回のブログでも書きましたが、手紙には父の誠実さ、真面目さ、そして知性がぎっしり詰まっています。

父は読書家で知的レベルも高い人でした。

 

しかし、若い頃の父は北海道大学を受験したものの、失敗しています。

私は現役で北海道大学に合格していますから、父は非常に喜んでいました。

 

父は医師になりたかったそうです。

自分の父親を早くに亡くしていて、そういう人を救うために医師を目指したそうです。

現役で不合格、一浪しても不合格で諦めて就職しています。

 

実は私も医学部を目指していました。

父が目指した北海道大学の医学部を志望して勉強していたのですが、途中で文学部志望に転向し、インド哲学を修めました。

 

私が医学部には行かず、インド哲学を志すと言うと父は残念そうでしたが、私の意思を尊重してくれました。

元々、読書家で知的レベルが高い人だったので、インド哲学の何たるかは心得ていたようです。

 

知的レベルの高い父でしたが、大学受験に失敗してから就職し、肉体労働をしていました。

一緒に働く周りの方に、同じようなタイプの方がいないので理解者がなく大変だったようです。

 

幼少の頃に自分の父を亡くし、大学受験に失敗し、働くようになっても理解者がいない。

何の罰ゲームかと思うような父の一生を考えると、私はこう考えるのです。

 

前世、父は極悪人だったのではないかと思うのです。

 

極悪で人々を苦しめ、悔い改めることないままに前世の人生を終えたのではないでしょうか。

 

それを戒め、悔い改めさせるために神様が不遇な人生を用意したのではないかと思うのです。

 

極悪人だった父は、その次の人生では誠実で善良な人間になりましたが、何をやってもうまくいかない。

挙句の果てには志半ばで癌に死す。

癌の手術を初めて受けた時点で大手術で、父は障害が残る体になり死ぬまで悩んでいました。

 

何と言う不遇な人生でしょう。

それに、父自身も気付かなかったであろうこと、父はおそらく発達障害を抱えていたのだと考えられます。

 

相手の気持ちを理解することが困難で、コミュニケーションが苦手、発想が特異過ぎて理解者を見つけるのが難しい。

 

現代では発達障害は広く知られるようになり、その人らしい生き方を選べるようになってきています。

私も父から受け継いだのか、自閉症スペクトラム障害があります。

 

自身の発達障害に気付くこともできず、風変わりな人で片付けられていた父。

何と言う不遇な人生でしょう。

 

前世、よほど悪いことをしたのでしょうね。

私はそう思います。

だからこそ、誠実で真面目に生き、人生において修行していたのでしょう。

 

私が大学で学んだインド哲学において、特に仏教において人生とは苦を背負うことであり、修行する時間であるとする教えがあります。

 

父の人生も正にそれです。

典型的な苦に満ちた人生ですね。

 

おそらく前世は極悪人で悔い改めることもしなかった父は、生まれ変わって善良で誠実な人間になり、多くの苦を背負って修行する中で私とも出会ったのでしょう。

 

偶然見つけた手紙を読み返してみると、今の父はどこでどうしているのかと思います。

不遇な人生を受け入れ、真面目に善良に誠実に生きましたから、今度は良い形で転生しているように思います。

 

手紙を見つけることができたように、生まれ変わった父に会うことはできるのでしょうか。

それとも修行したぶん、私のいる場所よりもずっと高いところに行ってしまったのでしょうか。

 

元夫の話を思い出します。

元夫は自分の祖母を亡くした後、その祖母が夢に出てきたそうです。

 

死後、位が上がり上等な着物を着ることができるようになったので、見せに来たと言われたそうです。

夢の中で元夫の祖母は紫色の上等な着物を着ていたそうです。

 

そういうこと、本当にあるんですよね。

しかし、父は照れ屋でしたから、着物を見せにきてはくれないでしょう。

 

別の方法、位が上がった者らしい方法で私のそばにい続けているのだと思いますね。