おとぎの国シリーズの第六弾です。
今日、ワイドショーを見ていたのですが、その中で流れた資料映像を見て思うことがありました。
ニュースなどでもそうですが、大都会、東京の通勤風景が資料映像として流れることがありますよね。
このご時世ですから、全員マスクをしています。
この光景、私にはなんだかお通夜の晩か亡者の行進に見えたんですよね。
覇気がなく、黙々と行進する人々。
マスクをしている様子は言いたいことも言わず、ただ黙々と言われたことをこなし、自分の意見を持たない者のように見えたのです。
こんなご時世でも働かなければ生きていけませんから、職場に向かうのは当たり前のことなのですが、なんだか活気がない亡者の集団に見えたのです。
この様子とよく似た国があります。
おとぎの国です。
おとぎの国はどこに向かうのでしょう。
感染が爆発的なのに、それでも職場に黙々と向かう亡者の行進が続いているのです。
本来であれば、感染を収束させるために人の流れを抑えることが必要です。
思い切って仕事も休み、通勤ラッシュは控えなければなりません。
それすらもできず、正に命がけで職場に向かう亡者たち。
命がけという自覚もないのかも知れません。
命令に従い、命も差し出すのでしょうか。
おとぎの国はどこに向かうのでしょうか。
ところで、大都会の通勤といえば別の意味で命がけですよね。
ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って、勤め人たちは職場に向かいます。
私は大学を卒業した後は地元の企業に就職しましたから、大都会の殺人的な通勤は経験したことがありません。
だから余計に大都会の通勤風景に違和感を感じるのかも知れません。
覇気もなくマスクで口を塞いだ亡者の行進。
そんな亡者だらけのおとぎの国はどこに向かうのでしょう。
おとぎの国は問題だらけです。
高齢の特権階級ばかりが増え、若い労働者階級は搾取されています。
特権階級が労働者階級を搾取するから、労働者階級は未来を思い描くことができず、その後に続く子供を持つことを躊躇する。
こうして、若い階級の数が減りおとぎの国は衰退に向かうのです。
また、おとぎの国では少数派は無きものとして扱われています。
どの者も同じあることを良しとするおとぎの国では、規格外の者は無きものとして扱われているのです。
例えば性的な少数者、互いの姓を尊重し合って結婚したい者、心身に障害がある者などへの風当たりはまだまだ強いのです。
おとぎの国を支配しているのは狭量さなのです。
このような少数者を無きものとし、働ける者はマスクをして口を塞ぎ、黙々と駅の中を行進し続ける日常が繰り返されています。
そして、疫病が蔓延する中、下下の者には王様に対する不信感しかありません。
王様がだらしないから下下の者が無軌道な行動を取るのでしょうが、だからといって自堕落に行動する下下の者もどうかしています。
下下の者は自らが自らを律することができないのです。
いい大人が自らを律することができない。
なんとも嘆かわしい状況です。
そして、黙々と行進する者からは覇気が感じられなく、全てにおいてお通夜の晩のようです。
おとぎの国はお葬式の真っ只中なのでしょうか。
お葬式の真っ只中、衰退の一途を辿るのでしょうか。
狭量な精神を改め、自ら思考し、多数派も少数派も共に共存することが、おとぎの国が生き延びる方法なのです。
おとぎの国の国民たちはその自覚を持つことができるのでしょうか。
覇気のない亡者の行進からはそれが伝わってきませんでした。
おとぎの国には、もはや亡者しかいないのでしょうか。
衰退し沈む一方なのでしょうか。
かつては美しかったおとぎの国、もしかしたら、このまま沈んでしまうのかも知れません。