精神科の治療

今日は定期的に通っている精神の病院の通院日でした。

今は病状は落ち着いていますが、過去には大学病院の閉鎖病棟に入院して治療を受けていたこともあります。

 

大学病院の閉鎖病棟に入院、退院してから10年以上通院し、今は民間の病院に通っています。

私は10代の頃から症状が出ていたのですが、きちんとした治療を受けられるようになったのは30代になってからです。

 

そもそも、私の両親の接し方がおかしいのです。

 

私が生まれ育った家庭は貧しく余裕のない家庭でした。

その影響でしょうか、私が自覚している記憶では10歳の頃に離人症の症状が出てきました。

当時、私はかなりのストレスを感じて暮らしていました。

 

離人症は罹ったことがある方はおわかりのように、自分だけが透明なカプセルに入れられ、周りの友達が別世界にいるかのような違和感を感じる病気です。

 

自分とクラスの友達の間に透明な壁があるような気がして、学校に行くのが恐くなりました。

ただ、10歳、小学校四年生だったので、その症状をどう伝えたら良いかわかりませんでした。

毎朝、学校に行く時間が近づいてくると、登校をボイコットするくらいしか方法が思いつかなかったのですが、母には私がずる休みしているようにしか見えていなかったんですよね。

 

病は気からとも言いますが、そのうち私は本当に熱が出るようになってしまいました。

そこで、何か精神の問題だと気付いてくれればよかったのですが、そうではなく、あちこち病院に連れて行ってもらっても内科の病院に連れて行かれるだけでしたね。

 

はっきり言って、両親のことは嫌いです。

嫌いと言うより、何故こんなに愚かなのか呆れます。

 

私の両親は1930年代に生まれ、現在80代の古い世代であり、自分たちの子供が精神の問題に直面するということに対して理解がありません。

今の80代は罪深くないでしょうか?

 

高度経済成長期に若い頃を過ごし、心よりも金と物、そういう価値観が根強い世代ですよね。

心よりも金と物、経済成長こそ幸せ。

こういった価値観のしっぺ返しが今の日本を覆う閉塞感に表れています。

 

イケイケな経済成長をバックに走り続けてきて、何が残っているのでしょう?

このような価値観を持つ高齢者ばかりが増え、若い世代は希望を見出せないでいます。

高齢者世代を支える年金の問題が生まれ、元気で働ける世代が減り、更には未来を担う子供たちが減り続けています。

 

このような国の縮図が私が生まれ育った家庭の有り様です。

心の問題を振り返らず、前を向いて走り続けることだけを美徳とし、それを反省もしない。

 

父は早くに亡くなりましたが、母は実家で一人暮らしをしていてます。

矛盾と無知に満ちた母の今後を世話する気は全くありません。

施設に棄老ですね。

父も母も私に捨てられる、その程度のことしかしてこなかったのですから。

 

精神科の治療は時間がかかります。

病状によっては一生の付き合いになることもあり得ます。

 

私はこれからは無理せず、自分のために生きていくことに決めました。

幸い、今の主治医とは相性が良く、治療を受けるのが楽しいです。

やっと、まともな生活ができるようになりましたね。

 

検査を受けて自閉症スペクトラム障害があると判明もしましたが、主治医は”障害”ではなく”特性”だと言ってくれます。

まともな治療を受けることができず、ずいぶん回り道をしましたが、50代になったこれからが自分の本当の人生だと思いますね。

 

私は両親の姿を反面教師として、若者に捨てられない老婆になっていきたいのです。