本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「裸の王子様」という短編を書いています。
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~ここから本編~
今日は父のお墓参りに行ってきました。
去年までは母と行っていましたが、母とは私の障害をめぐり絶縁状態ですから、今年は一人で行きました。
何事もそうですが、一人だと終始マイペースで行動できますから楽ですよね。
父がお世話になっているのは、札幌でも大きい墓所です。
お盆の初日ということもあり、多くの家族で賑わっていました。
それぞれの家族、親類の方などが訪れ故人を偲んでいましたね。
多くのお墓には花が供えられ、華やかな雰囲気でした。
父がお世話になっている墓所は特にそうですが、お墓という暗いイメージはありません。
自由設計のお墓も多く、故人の生前の暮らしぶりが窺えます。
墓所には陽の光が降り注ぎ、自由で明るい雰囲気が流れています。
お盆を迎え、家族が訪れ、それぞれのお墓には花やお菓子、他にも個人が好きだったものらしき物が供えられていると墓所全体が華やかになります。
墓所が華やかだと言うと変でしょうか?
そんなことはありません。
ご先祖様をお迎えするお盆は賑やかに華やかに過ごしたいものです。
そして、その墓所では抽選会も開かれていました。
毎年そうなのですが、墓所を管理する会社が中心となってお盆の期間は抽選会が開かれているのです。
お盆期間中は地下鉄の駅から送迎バスも出るのですが、送迎バスの時間を待つ間、私も抽選してみました。
結果はナイロンたわしが当たりましたね。
私は今は一人暮らしで料理をすることはありません。
そんな私に対して、父がたまには料理をするよう窘めたのでしょうか。
抽選会、それぞれのお墓に手向けられた花々。
墓所の中はまるで夏祭りの一日のようでした。
お墓と夏祭り。
一見、相反するもののように思えますが、実は根本的には同じものと考えられます。
お墓は先祖を敬い讃えるためにあるものであり、夏祭り、お祭りというものは人間の上位にある神様を讃えるためのものです。
共に敬うべき対象を讃えるためにあるものです。
ですから、お墓で夏祭りのような華やかさがあってもいいですよね。
実は生前の父とは仲がよいとは言えませんでした。
理屈では理由を説明できませんが、父の死後、父を偲び気にかけることができるようになりましたね。
それは、死後の父が仏に進化し、私を守る存在になったからなのではないかと思うのです。
父がお世話になっている墓所には、墓所全体を治めていらっしゃる大きな仏様がお祀りされています。
父のお墓参りに行くたびに、その仏様にご挨拶をするようにしています。
死後の父がお世話になっているのですから当たり前のことですよね。
墓所のシンボルとも言うべき大きな仏様の前で手を合わせると、とても落ち着き神妙な気持ちになります。
ところで、お墓参りで先祖の前で手を合わせる時、何かをお願いするものでしょうか?
私は父のお墓の前で手を合わせたり、墓所のシンボルの大きな仏様にお会いする時、お願い事はしません。
いつもお世話になり、守って頂いていることに対してお礼を言うようにしています。
苦しい時の神頼みにはなりたくないんですよね。
願い事を叶えられるかどうかは、先祖に頼むようなことではないと思うのです。
先祖はあくまでも自分を見守ってくれる存在ですから、それ以上のことは頼むものではないと思うのです。
今日のお墓参りは例年通り華やかなお盆の雰囲気の中、まるで夏祭りに参加したようでした。
いつもの年より楽しめたような気がします。
おそらく、父が歓迎してくれたのです。
またお参りに行こうと思います。