本編の前にお知らせです。
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~ここから本編~
先日お墓参りもしてきましたが、今日は父の命日です。
父が死んでからずいぶん時間が経ちました。
父は生きていたら80代ですが、ギリギリ平均寿命といった年齢になっていたはずですから、何を思い何を語るお爺さんになっていたのでしょうか。
父が死んだ頃はまだスマホはなく、携帯電話も今ほど普及してはいませんでした。
それでも父はワープロを使い文書を作成していたものです。
偶然発見した父からの手紙があるのですが、それもワープロで作られたものです。
スマホもなく携帯電話もそう普及していない時代を生きていた父。
今のスマホの時代、ネット全盛で多くの人がSNSを楽しむ時代を見たら、どんな意見を持っていたのかと想像します。
父は人間の愚かさを戒め、物事に対して批判的な視点を持つ人でした。
物事に迎合することなく、既存のものを妄信せず、常に改めるべきところは改めるべきという意見を持っていて辛辣に批判する人でした。
私は生前の父とは仲は良い方ではありませんでしたが、父がいなくなって時間が経つと、権威的なものに盲従せず疑ってかかることは大切なことだとわかってきました。
迎合し妄信していては物事の進歩はありません。
こういう点は父が言っていたことは理解できますね。
今や多くの人がスマホを持ち、ネット全盛の時代になりました。
私も含めてSNSで活動する人も多いです。
ネット全盛の時代を迎える前に死んでしまった父は、このことをどう見るのでしょう?
SNSはリアルでは出会えない相手と繋がり、自分の意見を発信できる場です。
しかし、その弊害もあります。
心無い発言があったり、とんでもなく極端な意見があったり。
父は物事を疑ってかかり、強きを助け弱きを挫くような発言を嫌う人でした。
ありますよね。強きを助け弱きを挫く物言いをする人っていますよね。
ただ、実はそれは今のネット全盛だから初めて出てきたものなのではなく、昔昔からあったものです。
懲りない者はSNSにおいて強きを助け弱きを挫く発言を平気でします。
父が今も生きていたら、こういう発言には嚙みついたことでしょう。
昔は一般の人間が自分の意見を社会に向けて発信する機会は、新聞への投書やラジオ番組へハガキを書いて送るくらいのものでした。
これらは一方通行的なものであり、SNSのように簡単に双方が意見を戦わせられるものではありませんでした。
しかし、SNSの登場で瞬時に互いが意見を述べ合い応酬できるようになりました。
父は勉強好きでかなり賢い人間だったので、スマホの使い方を学びSNSにも参加していたような気がします。
強きを助け弱きを挫く者には容赦なく噛みついていたのではないかと思いますね。
そして、スマホを使いこなして情報を集め、年老いても社会参加をしていたのではないかとも思います。
しかし、これだけ物事に対して批判的な人間でしたから、スマホやネットの弊害も直視してスマホは持たないと拒絶していたかも知れません。
父のこういうところを受け継いだのは私です。
弟がいますが、性格的にあまり父に近い感じではないのです。
私の方が内面は父に近いですね。
それどころか、私の内面は父そのものです。
若い頃はそうでもなかったのですが、父の死後その傾向は強くなりました。
人間の愚かさを戒め、強きを助け弱きを挫く者を批判し、権威的なものは疑ってかかる。
これは世の中を良くするために大切なことです。
私が父のそういう面を受け継いだのは、何か意味があるのでしょう。
そんなことを考えつつ、今年も父の命日がやってきました。
20年以上前、父が死んだ日を境に北海道は一気に秋に向かいました。
人間も自然の一部ですから、季節の変わり目が生と死の境目なのですよね。
こうして父のことを文章にしていると、すぐ後ろに父がいそうな気もします。
それも良いではありませんか。
生前は甲斐性無しで発達障害も抱えていたであろう父ですが、であればこそ賢く優れた人間性の持ち主だったと尊敬できるのです。