本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「長老と若人」という作品を公開しています。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
バナーの文字「とまと文学部」をクリックすると小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします
~ここから本編~
今日は死んだ父の”格言”について書きます。
先週、父のお墓参りに行きましたが、父は私について来たような気もしています。
何か言いたいことがあるのでしょう。
父は無口で真面目だけが取り柄の冴えない人間でした。
たまに口を開いても、家族にでさえ誤解されるようなことを言っていました。
こんな父でしたから、言いたいことを言うために私の後について来たような気がしてなりません。
そこで、今日は父が残した”格言”について書きます。
父は私が幼い頃からこう言っていました。
「日本人は狂っているんだ」
しょっちゅうこう言っていましたね。
当時は1960年代から1970年代にかけての時代でした。
私は今50代で、この頃はまだ幼子だったのです。
父の言っていたことはさっぱりわかりませんでした。
それでも父が何かを批判し、怒っていることは伝わってきました。
父は何に怒っていたのでしょう。
怒るというより憤っていたのですね。
1960年代から1970年代、父が批判した当時の日本はどんな時代を迎えていたのでしょうか。
様々な面がありますが、経済成長至上主義のエコノミックアニマルと日本人が批判されていた時代でもあります。
経済的な成長を第一とし、他を犠牲にしてでも金儲けに走る姿勢が批判されていたのです。
そう考えると父が言っていたことは道理にかなった当たり前のことに思えます。
金儲け至上主義で批判されても馬耳東風、熱に浮かされるように経済的な成長に向かって突っ走る日本人を父は批判的に見ていたのです。
父はもう20年以上前に亡くなりました。
病死しましたが、まだ生きていてもおかしくない年齢です。
父が生きていたら80代。
今も生きていたら、やはりこう言うでしょう。
「日本人は狂っているんだ」
そうですね。
50代になった今の私なら父の言うことに頷けます。
今のご時世なら”エコノミックアニマル”というよりも、昨今の感染拡大の観点から父はこう言うでしょう。
「日本人は狂っているんだ」
今の日本人は狂っておらず、まともでしょうか。
そうではないと思います。
感染爆発ともいえる昨今の状況を見ると、一部の日本人はまともだとは言い難いです。
爆発的に感染者が増えても遊びの方が大事な不届き者が一部にいます。
感染爆発の片棒を担いでいるとの自覚に乏しく、自分の利益と享楽を優先しています。
これが狂気でなくして何だと言えるでしょうか。
日本人の中には豊かになり過ぎて物事の優先順位がおかしい者がいます。
感染を拡大させないために何をすべきかを弁えず、自分の快楽を優先させる。
食うに困らず、日々の生活で事欠くことがないせいか、二次的、三次的なものであるはずの遊びを優先する不届き者がいます。
衣食足りて礼節を知るのではなく、衣食足りて礼節を知らず。
これは正に恥知らずと言うべきものでしょう。
恥を恥とも思わず、目先の利益に目が眩み、衣食足りて礼節を知らない者が跳梁跋扈する日本国。
父がまだ生きていたら、こう言うでしょう。
「とまと、日本人は狂っているんだ。そう思わないか」
生前の父とは仲は良い方ではありませんでしたが、父の言葉には賛同します。
言いたいことを言うために、お墓参りの後、私について来た父はこう言うでしょう。
「日本人は狂っているんだ」