本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「海の向こうの大阿呆」というタイトルのものを公開中です。
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~ここから本編~
昨日に引き続き、子宮頸がんの話です。
今日は病院をハシゴしました。
午前中は歯医者さんに行き、午後からは子宮頸がん後の経過観察の検査を受けるため、大学病院の婦人科に行きました。
今は三ヶ月に一度、検査を受けるためその大学病院に通っています。
今日はちょっとだけ恐怖でした。
担当医の先生が「生検」をしましょうと仰ったのです。
生検とは細胞診よりも詳しい診断をするために行うものですが、痛みと出血を伴います。
私は初めてその大学病院を訪れた時、生検を受けたことがあります。
おへその裏、内側からガチーン!!と引っ張られる感じで、かなり痛いです。
生検では小さな肉の塊を取り、取った組織を観察してより正確な診断ができるようなのですが、私はとにかく痛みに弱く、生検をする場合は入院して麻酔をかけてもらい手術室で受けているくらいです。
ですから、今日の担当医の先生が生検をやる気満々だったのには恐怖を感じましたね。
私のリクエストもあり、生検は取り止めになり一歩後退した「細胞診」に切り替えてもらいました。
細胞診は一般的な子宮がん検診のように、軽く粘膜を擦り取るものですから苦痛はほぼありません。
しかし、それでは子宮頸がん後の経過観察としては不十分ですから、今日の検査結果次第ですが、おそらく入院して精密検査を受けることになると思います。
今日の検査では、拡大鏡を挿入して病変部を撮影した写真も見せて頂いたのですが、担当医の先生の説明によれば、目視でも疑わしいところがあるとのことでした。
それがどの程度疑わしいのか、癌なのか、それとも癌の一歩手前の状態の異形成というものなのか。
それは取った細胞を見て診断が下ります。
入院しての検査の時期がいつになるかは状況によりますね。
毎年、二泊三日で入院し検査を受けていますが、今の感染の問題との兼ね合いもあります。
大学病院ですから感染した妊婦さんも受け入れるでしょうし、私のような者は後回しにされそうですが、今日の担当医の先生はそのことには触れませんでした。
意外とすんなり入院できるのでしょうか?
それはまだわかりませんが、何とかなるでしょう。
ところで、大学病院といえば「白い巨塔」ですね。
死んだ父が大好きな作品でした。
ただ、私はずっとお世話になっている大学病院で財前教授のような恐い医師に会ったことがありません。
今は婦人科に通っていますが、以前は同じ大学病院の精神科にお世話になっていました。
閉鎖病棟に入院し、退院後も十数年通院して治療を受けていました。
精神科にも婦人科にも財前教授はいません。
どの先生も優しく優秀な方ばかりです。
死んだ父と言えば、父も癌で命を落としました。
父は進行癌の状態で見つかり、治療法を選ぶことはできませんでした。
最後は諦めていましたね。
いいえ、父は治療を諦めていた以前に人生を諦めていたのです。
おそらく発達障害を抱えていて、生きづらさを感じていたのでしょう。
父は1930年代の生まれで、今生きていたら80代。
その世代は精神的なケアやサポートという価値観がなく、今では一般的になった発達障害という概念を知らないまま亡くなった人も多いことでしょう。
とは言え、人生を諦めてはならないですよね。
そういう意味では、私は父のようにはなりたくないのです。
人生を諦めず、今後どんな治療が必要になっても諦めることなく、そういう風に病気にも立ち向かっていこうと考えています。
そして尚且つ、自分らしさが大切です。
私らしい人生が送れないなら、どんな治療を受けようと意味がありません。
人間は医学的に肉体が生きていればよいのではありません。
自分らしい生活が送れないならば、どんな治療法も無意味です。
さて、今日受けてきた細胞診の結果は二週間後に出ます。
今年も例年通り、二泊三日の日程の検査入院でまとまれば御の字です。
毎年、念入りな検査を受けられる方がある意味、健康的だと思えるのです。
死んだ父を反面教師として、治療はもちろん、人生を諦めず進んでいこうと考えています。