本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「海の向こうの大阿呆」というタイトルのものを公開中です。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
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よろしくお願いします
~ここから本編~
昨日は病院をハシゴしていたら疲れてしまいました。
精神疾患が少しでも良くなるよう外出できるようになりたいのですが、今日は寝坊してしまいました。
のんびり情報番組を見て過ごしていたりしたのですが、なんと新しい変異株”ミュー株”というものが出てきたそうではありませんか。
大変なことになってきましたね。
私は野次馬根性がたくましく、ワイドショーや情報番組を見るのが大好きです。
全てを鵜呑みにする訳ではありませんが、参考くらいにはなりますよね。
どうやら目下の感染対策は人流を抑制することなのだそうです。
しかし、素朴な疑問が湧いてきます。
少し前までは、飲食店が問題視されていませんでしたっけ?
その前は夜のご商売を問題視していませんでしたっけ?
それらの問題点はその後どうなったのでしょう?
飲食の問題にしろ、夜のご商売の問題にしろ、何かをスケープゴートにしているだけなのではないかと思います。
誰かを悪者にして、自分は無関係だと頬かむりしている者はいませんか?
必要もないのに出歩き、無軌道な行動をしている者はいませんか?
人の流れが生じれば接触の機会が増えます。
そうなると感染の危険も増すということなのでしょう。
ですから、スケープゴートを差し出しても必ずしも解決に繋がるとは言えません。
飲食の問題にしろ、夜のご商売の問題にしろ、根本的には人が出歩くことが問題なのでしょう。
やはり感染を抑え込むには、人流の抑制がポイントになってくるのではないでしょうか。
ここで例え話をしましょう。感染が拡大しているにも拘らず、諸国を漫遊して興行を打つ者がいるとします。
その者は感染対策をしているから大丈夫と胸を張ります。
しかし、その対策は集まってくる客の為だけで、興行を打つ地方に住む者の安全の為ではないとします。
結局、自分たちの内輪だけのことを考えているに過ぎないのです。
おまけに、興行を打てば人の流れが生じます。
問題はここにあります。
対策をすると言っても自分たちの頭上だけを守っていては意味がありません。
興行の会場まで出かけてくる人の流れが発生するのは明らかです。
感染が収束しないうちは人の流れを作るべきではないのです。
これができなければ、社会に対する責任を果たしていないも同然ですね。
目先の金銭に目が眩み、責任そっちのけで金儲けに勤しむ。
このような者がいることは由々しきことです。
無責任な行いは自殺行為に等しいと思うのですが。
人の流れを絶つと言えば、私が敬愛するTHE ALFEEのことが思い浮かびます。
もう一年半以上、リアルなライブが休止中です。
配信では何本かライブを行っていますが、ALFEEの醍醐味は何と言ってもリアルなライブです。
しかし、敢えてリアルなライブを休止させています。
なぜなのか考えてみました。
理由はいくつかあるのでしょうが、やはり人の流れを抑えるためでしょう。
人の流れを抑えることで、集まってくるファンをリスクにさらさず、各自の家庭や会場の間を移動することで発生するリスクも未然に防ぐためだと考えられます。
特に各自の家庭と会場の間を大人数が移動すれば、その間で感染が広がってしまう恐れがあります。
何かをスケープゴートにするのではなく、自ら対策を講じ、直接の関係者以外の存在に対しての配慮もなければなりません。
このような理由で敬愛するALFEEはリアルなライブを休止させているのではないでしょうか。
アーティストとはこうでなければなりません。
ファンに対してはもちろん、部外者に対する配慮を欠かさず、社会的な影響も考慮する。
翻って、配慮に欠ける者。
自身の関係者のみを庇い、懲りることなく興行を打ち、社会に対する責任を放棄する者。
自らは思慮が浅い、影響力のない小物だと宣伝して歩いているようなものですね。
さあ、最後に生き残るのはどちらでしょう?
社会に対する責任を果たせるか否かに運命の分かれ道があるのです。