本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「海の向こうの大阿呆」というタイトルのものを公開中です。
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~ここから本編~
今日は定期的に通院している精神科の病院に行ってきました。
早いもので今の病院に通うようになって一年ほど。
その前は大学病院の精神科に通っていました。
大学病院と民間の病院ではいろいろな違いがあります。
大学病院はとにかく患者さんの数が多い印象です。
そのぶん医師も多くいるのですが、私は今の民間の病院の方がきめ細かく診てもらえるように感じています。
大学病院を卒業できたということは、少しは快方に向かっているのでしょうか。
大学病院で治療を受けたい患者さんは少なくないですが、果たして本当に大学病院でなければ治療ができないのか、この点が慎重に検討されて受診が決まるのではないでしょうか。
私も初めて大学病院を訪れた時は診察を受けて、後日、大学病院で受け入れてもらえるのか連絡がきて受診が決まりました。
今、通っている民間の病院は大学病院の医師ともよく相談し、民間の病院に移っても大丈夫という判断で決まりましたね。
ところで、精神の問題を相談する相手として、精神科医以外にはカウンセラーなどがいますね。
医師に相談するか、カウンセラーに相談するか。
一長一短ですね。
相性にもよりますよね。
私は断然、精神科医ですね。
小学生の頃から精神の問題を抱えていた私は、要するに重症患者です。
今は双極性障害、強迫性障害を治療し、生まれながらの障害・自閉症スペクトラム障害のサポートも必要です。
そして、今は寛解状態にありますが摂食障害の治療も受けていましたから、自身を任せるなら精神科医です。
大学病院に入院していた頃は摂食障害の治療が主であり、アルコールへの依存もあったので心の問題だけではなく、体の健康も取り戻す必要がありました。
こうなるとお任せできるのは医師であり、その流れで今も医師にお世話になっています。
このような私は高校生になるまでは精神科医になりたかったのです。
上述のように小学生の頃から精神の問題を抱えていましたから、自身で自身を救うためにも私は精神科医を志しました。
しかしながら進学したのは文学部で、インド哲学という学問を学んでいました。
では、私は最初に抱いていた志を忘れていたのでしょうか。
そうではありません。
インド哲学が扱う領域は多岐にわたりますが、人の生きる道を説くという意味では、心を守り救う精神医学とも共通点があると思いますね。
日本でイメージしやすいインド哲学は仏教の教えですね。
生きる意味や人としてあるべき姿についても考える機会があるのが、インド哲学を学ぶ醍醐味です。
そう考えると、高校に入学してすぐの頃に志望していた医学部には進まず、文学部でインド哲学を学んだことも無駄ではなかったですし、私が求めていたものは最初から変わっていなかったのです。
精神疾患の治療はいつかは終わるのかも知れませんが、生まれながらの障害は治療して治すようなものではありません。
そういった意味では生涯にわたって精神科医とのご縁は切れないのかも知れません。
来世は医師になろうと思うんですよね。
現世は患者として、障害者としてお世話になりっぱなしですから、次はお世話する方に回りたいです。
仏語に「前世・現世・来世」という表現があります。
仏教の教えはインド哲学を学ぶうえで、私が最も感銘を受けたものです。
その教えを忠実に生かすような現世を生き、来世を迎えたいものです。