本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「海の向こうの大阿呆」というタイトルのものを公開中です。
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~ここから本編~
お料理、全然してないです。
今は離婚して一人のせいか、全く炊事はしなくなってしまいました。
結婚していた頃は毎日、一日三食作っていたものです。
元夫の仕事はコンピューターの開発技術者で、かなり仕事が忙しくて帰宅するのが遅く、毎日お昼と晩ごはんのぶんお弁当を作っていたものです。
お昼のお弁当は普通に作っても、晩ごはんのぶんのお弁当を持たせるとなると、それなりに工夫が必要でした。
夏であれば腐りやすいものを避けたり、飽きないようにおかずを変えたり。
いろいろ工夫したものです。
今は男性も料理するのは当たり前になりましたよね。
私の行きつけの美容室の美容師さんは若い男性なのですが、率先して家事を分担し料理も意欲的に取り組んでいるのだと話してくれます。
元夫も仕事が休みの日は料理を振る舞ってくれていました。
ところが、私の父世代だとそうではなかったんですよね。
父は今生きていたら80代で、1930年代に生まれた世代です。
この世代は”男子、厨房に入らず”の世代で、本当に何もしませんでした。
何と言うか、男が家事をしないことを格好いいことだと思い込んでいたようなのです。
現代ならあり得ませんね。
ところで、私が初めて料理をするようになったのは中学一年生くらいの頃のことです。
その頃の私は摂食障害を発症し、母の作る料理に対して不信感を持っていました。
自分の口に入るものは自分で作らないと気が済まない。
そう考えるようになり、自分が食べるものは自分で作るようになったのが料理を始めたきっかけです。
食べることは生きることです。
その食べることを放棄しようとすることは、生きることを放棄することです。
私は一時期、生きることを放棄するも同然だったのです。
何故そういうことになってしまったのか。
母が作る料理に対する不信感の源は、両親に対する不信感だったのです。
最近、50代になって初めて自身の障害、自閉症スペクトラム障害が判明した訳ですが、その私の障害に対する両親の理解や認識が乏しかったことが原因で、不信感が生まれたのです。
料理は本来、心と心が通い合う場面で楽しく取り組むことですが、私の料理デビューは自身が正しく理解されないことからくる不信感が元でした。
それでも元夫は私の良き理解者だったので、元夫の健康のためにも意欲的にお弁当を作り、料理に励んでいたものです。
元夫とは発展的なコンビ解消で離婚したようなものです。
バンドであれば”音楽性の違い”での解散でしょうか。
今は離婚して一人、料理をしなくても何も困りません。
しかし、何か作れと言われたら作れますよ。
料理って、自転車に乗ることに似ています。
一度、身に付けると体で覚えている部分がありますね。
年に何度か実家に帰っていた頃は母と料理をしていましたが、もう実家には帰らないことにしました。
私の障害に理解がなく、理解してこなかったことを反省もしていない母には付き合いきれません。
それでも良いではありませんか、自分を理解してくれない相手と仲良くできる訳がありません。
料理を振る舞うなんて以ての外です。
楽しくなければ料理じゃないですよね。