本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「海の向こうの大阿呆」というタイトルのものを公開中です。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
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よろしくお願いします
~ここから本編~
今日も夕方のニュースをじっくり見ていました。
今、一番熱い話題は政治の話ですね。
実に興味深いです。
そういえば、新聞って取ってる方は今も多いのでしょうか?
私は取っていません。
同じマンションに住む方も取っていなさそうですね。
ニュースに触れる機会はやはりテレビが多いのではないでしょうか。
私もそうです。
テレビ以外だと今はネットニュースが増えましたね。
手軽にスマホでも見られるので便利です。
現代はネットでニュースに触れ、ネットで自分の意見を投稿したりもできるようになりました。
ネットニュースをスマホで見て、自分の意見をコメントとして投稿する。
昔と比べて個人が発信する機会は増えました。
日本人すべてが評論家か解説者になったみたいですよね。
それぞれが各自の視点で意見を述べて、時には論戦する。
大変結構なことです。
同じテーマでも正反対の意見があったり、面白いですね。
私はいつも傍観者の立場で多くのニュースを見ています。
ニュースのテーマによっては、右と左に分かれてそれぞれの方向へ引っ張り合う話題もありますが、私はやじろべえです。
右でも左でもなく、常に真ん中でバランスを取る。
これが私の立場です。
敢えて言えば、困っている少数派に属しているので、そういう人たちに対する政治の動きや世の中の意見には敏感ですね。
ところでネットニュースが普及してくると、テレビや新聞は時代遅れのものという意見もありますが、果たしてそうでしょうか?
何でもかんでも後から出てきた最新のものだけを良しとするのは、如何なものかと思います。
スマホの普及に乗り切れず、ネット環境に疎い年配者は世の中から置いていかれると言う人もいますが、そうでしょうか?
そんなことはないと思いますね。
紙で残るものは実体がはっきりした重みがあります。
このような重みがあるもの、私が生まれた時に父が買ってくれたものがあります。
それは私が生まれた年の新聞の縮刷版です。
新聞の縮刷版、ご存知でしょうか?
雑誌でいう”バックナンバー”のようなもので、既に発行されたものを記念の意味も込めて保存するものですね。
新聞社にもよりますが発行している会社は今もあるようです。
元来、真面目な父が私が生まれた時の時代を記念して残るものをと願い、買い求めた新聞の縮刷版を未だに持っています。
もう50年以上前の世の中の様子を知ることができ、時間が経てば経つほど貴重な資料になっています。
デジタル処理はされておらず全て紙で残っていますが、今でもページをめくる度に漂う匂いからは50年分の重みが感じられます。
紙で残る媒体もいいものです。
ネットニュースであろうが、テレビのニュースであろうが、新聞であろうが、要は自分で考えることが大切なんですよね。
或いはネット時代になったからといって、自分に関わりのありそうな情報だけに偏らず、幅広く情報に触れて自ら判断する。
情報を鵜呑みにせず、様々なことに関心を持つ。
それは媒体がなんであれ共通のことですよね。
片手にスマホ、もう一方の手に昔の新聞の縮刷版。
こんな感じで右と左に揺れる情報のやじろべえでいたいのです。