本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
「とまと文学部」で今は「海の向こうの大阿呆」というタイトルのものを公開中です。
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~ここから本編~
昨日に引き続き”粉瘤”の話です。
今日、病院に行ってきました。
粉瘤は皮膚科で治療することが多いようなので、家の近所の皮膚科の病院に行ってきました。
その病院に粉瘤の治療で行くのは二度目です。
カルテの記録によれば去年も診察に行っていたようです。
その病院には粉瘤の治療で行ったことは覚えていたのですが、去年のことだったのは意外でした。
まだ一年ほどしか経っていないのに、その間に二度も粉瘤になってしまっているのです。
粉瘤とは皮膚の下にできるデキモノですが、今までに四度なりましたね。
おそらく、できやすい体質なのでしょう。
四度できたうち二度は粉瘤を切開する手術を受けています。
もちろん麻酔をかけますが、麻酔の注射って痛いんですよね。
今回はまずは飲み薬での治療となりました。
粉瘤が化膿しているので、それを治める薬を飲み皮膚には軟膏を塗って治まれば、切開手術は不要です。
なんとか薬で治まってほしいですね。
しかも粉瘤になるのは局部ばかりで、診察を受けるのも恥ずかしいです。
しかし、そうも言っていられません。
今日も恥を忍んで診察を受けてきました。
それにしても、病院っていつでもどこでも混んでいますよね。
私がかかりつけにしている皮膚科の病院は評判が良く、いつ行っても混んでいて待たされます。
病院が混んでいるということは、具合が悪い人が途切れないからなのですが、そういう人は本当に多いですよね。
大学でインド哲学を学んでいた頃のことを思い出します。
インド哲学が扱う領域は広いのですが、私が最も感銘を受けたのは仏教の「生老病死」の教えです。
人間は誰もが生まれ、老いて、病み、死ぬ。
この四つの苦からは逃れられないとする教えです。
病院は正に「病」の場です。
医学とは哲学でもあります。
どんな治療をどこまでやるのか。
医学が発達すればするほど、哲学的且つ倫理的な判断基準が見直されるようになったりしていますよね。
今日は混み合っている病院の待合室で順番を待つ間、このようなことを考えていました。
人は病気になることから逃れられない。
インド哲学の教えが実際の病院の待合室の風景にも投影されている。
人が病に悩み、迷い、救いを求めることは今も昔も変わらないのですね。
私自身も今、粉瘤以外にも精神疾患を治療したり、子宮頸がん後の経過観察を続けていたり、病院とのご縁が切れません。
病院って哲学の場ですよね。
生き方、死に方を問う場でもあります。
そんな風に考え事をしながら待てば、病院の待合室で過ごす時間も苦になりません。
このまま薬が効いて粉瘤が小さくなればいいですね。