本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第十三話の話を公開を始めました。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
さっきまでテレビでスポーツを見ていました。
バスケットボールの試合を見ていました。
スポーツと言えば、私にとっては何と言ってもエアロビクスです。
20代、30代の若い頃にのめり込んでいました。
当時の私は結婚していて専業主婦でしたから、時間、お金ともに余裕があり、エアロビクスにのめり込むことができたのです。
きっかけは結婚する直前、体調を崩していたことですね。
私は生まれ育った家庭が貧しく、辛いことが多かったので結婚に魅力は感じていませんでした。
しかし、元夫が素晴らしい人間で、この人となら一緒に暮らしてもよいと思ったんですよね。
体調も崩していましたし、結婚した私は仕事を辞めて専業主婦になりました。
当時の私たちは新聞を取っていましたが、ある日のこと、新聞のチラシでスポーツクラブの広告が入っていました。
そこで一日体験を申し込み、見学のつもりで行き、すぐに入会しました。
少しでも体力を回復させたかったんですよね。
最初は太極拳など、渋くて静かなプログラムに参加していましたが、なんとなくエアロビクスにも参加してみたのです。
面白い!!
とにかく面白い!!
軽快な音楽に合わせて汗をかくのが、こんなに楽しいなんてと夢中になりましたね。
それからというもの、私の行動はどんどん”エスカレート”していきました。
バリバリのレオタードを着て、ばっちりメイクをして、スタジオ内では最前列に陣取る。
その頃のレオタードは、ハイレグでTバックのスタイルのものが主流でした。
ハイレグにTバック。
しかし安心して下さい、スパッツは履いていましたよ。
レオタードはハマりましたね。
レオタード収集が趣味になっていました。
一時期は100着くらい持っていて、スポーツクラブでは”同じレオタードは着ない人”として有名でした。
その後もエアロビクスの大会にエントリーしたり、本当にのめり込んでいましたね。
エアロビクスという単語に英語の”~をする人”を意味する”er”を付けて「エアロビクサー」
私は正にエアロビクサーでした。
よくエアロビクスのことを”エアロビ”と言ってしまいがちですが、違います。
エアロビではなく”エアロ”です。
エアロビクス通はそう言いますね。
レオタードを着こなすには体形の維持が大切です。
その頃の私は、夕食も野菜の煮物やおひたし、冷ややっこなどが食事の中心でした。
私が専業主婦として家事を担当していましたから、元夫もこの食事内容に付き合わされていました。
今思えば申し訳ないことをしたと思いますね。
元夫の仕事はコンピューターシステムの開発者。
肉体労働ではありませんが、ストレスが溜まる仕事です。
もう少し栄養バランスが良くて美味しいものを作れば良かったですね。
私はレオタードを着て、派手なメイクをして踊ることが楽しかったのです。
その見た目を維持するために異常なまでの節制をしていました。
それは私が10代の頃から摂食障害に罹り、自分の体形に異様なこだわりがあったからなんですよね。
エアロビクス自体は健康的なスポーツですが、そのために私は不健康ともいえる節制をして、元夫も巻き込んでいました。
派手なレオタードやメイクの陰にはそんな闇のような部分もありました。
今はエアロビクスからは離れました。
もう50代ですし、好きなものを好きなだけ食べるので、すっかりおばさん体形になってレオタードはもう着られません。
しかし、その方が健康的だと思います。
エアロビクスに夢中になっていた頃の私にとって、レオタードは鎧のようなものでした。
今の私は鎧を脱いで、自然に生きています。
これでいいんですよね。