本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第二十六話めを公開中です。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
昨日は選挙の投票日でしたね。
私は昨日から今日未明まで選挙結果の特別番組を見ていました。
気になる結果ですが。
うーん、一言で言うと物足りないですね。
プラスマイナスでゼロ。
進歩がありませんが、かと言って退行した訳でもありません。
何の変化もない結果だと思います。
以前もお話ししましたが、私は政治には安定より変化を求めています。
どのくらいの変化を求めるかと言うと、改革でもまだまだ手緩い感じですね。
既存のものを改革するだけでは物足りないです。
いっそ、新しい国を建国するくらいの気概で臨みたいくらいです。
国家って、どうやったら作れるんでしょうね?
ちょっと真剣に考えたりします。
そうなると、私は建国の父ならぬ、建国の母。
なかなか良いではありませんか。
ネット上などを見ると、だいたいが右側の勢力と左側の勢力のガチンコなぶつかり合いですが、一緒の国にいないで、それぞれ分かれて建国したらいいと思いませんか?
国家ってどうやって作るんでしょうね?
まずは、土地の確保でしょうか?
地球上にはもう土地がありませんから、今後、新しい国家を作るには宇宙空間にステーション的に作ることになるのでしょうか。
話を元に戻しましょう。
昨日の選挙の結果は変化がなく物足りないですね。
私はネットでもいろいろな意見に触れるのが好きですが、多くの人が心が狭く、余裕がないという印象を受けました。
政治の使命の一つに、困っている人を助けるということがあると思います。
それが少数派であっても、少数派だからこそ、困っている人を助けるのが政治の役割ですし、それを支持できるのが成熟した余裕のある社会の姿だと思います。
それがどうでしょう。
少数派や困っている人に石を投げるような物言いをする人間の多いこと。
これでは成熟した先進国とは言えませんね。
日本は経済が大変と言われていますが、それでも食うに困ることはないはずです。
少なくとも地球上にある貧しい国よりは、まだまだ恵まれています。
ですから、心も飢えることなく豊かであるべきですが実態はかけ離れ、困っている人に石を投げるような者が一定数いるのは嘆かわしいことですね。
衣食足りて礼節を知るのではなく、これでは衣食足りて礼節を知らずになってしまっています。
他者を思いやり、共感しようという寛容さがない。
心が貧しく余裕がない。
選挙の結果に関わらず政治の話に限らずとも、不寛容は人間と人間を分断し、社会や国を衰退させるものではないでしょうか。
真の貧しさは経済活動だけでなく心の中にあります。
幸せは寛容さから生まれるものです。
人間は、いつ、どこで、どうなるか、わからない存在です。
自分も困ることになるかも知れない、少数派になるかも知れないという想像力が働けば、寛容な心を持てるはずだと思うのです。
心の狭い日本国、以前も書きましたが今後は大丈夫でしょうか?
私はもう50代で人生は後半戦に入りました。
自分の子供はいませんから、どうでも良いことかも知れませんが、これからの若い人は大丈夫でしょうか?
国家というものは人類の歴史の中で勃興と没落を繰り返してきました。
変わらないのはこの繰り返しの波だけですね。
寛容さは尊い。
これが普遍の真理です。
これに乗れるか乗れないかで、今後の日本国の運命は決まるのだと思います。