本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第三十一話めを公開しています。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
今日、夕方の情報番組を見ていたら農業系の高校の話題が放送されていました。
学校の実習で作った作物を素材にスイーツを作り、その食べ比べをするという企画でした。
実に興味深い内容でした。
私は農業系や商業系など、職業に繋がるカリキュラムを教わる課程とは正反対の進学校の出身です。
勉強しかできないので、仕事に就くうえで有意義な課程の学校には興味が湧きます。
勉強しかできないというのも、どうかと思うんですよね。
私は元来、勉強が好きです。
ただ、好きでやっているとはいえ、そこばかりを期待されるのは何かが違うと思っていた部分もあります。
私は東京大学や京都大学にも合格者を出す進学校の出身ですが、大学に合格できなければスタイリストになりたいという気持ちもありました。
私服通学の高校だったので、人並みにお洒落も好きだったのです。
そんな訳でお洒落好きを生かせるスタイリストにも憧れたのですが、父も母も認めてくれませんでした。
自分で言うのも変ですが、私は幼い頃からよくできた子供で、父や母にすれば私が進学校から有名大学に進む以外の道は認めたくなかったのでしょう。
今になって思うのですが、父も母も私の優秀さの上に胡坐をかいて調子に乗っていたのです。
勉強がよくできれば満足で、横道にそれることもなく真っ直ぐに育った私の存在が満足だったのです。
しかし、人間は皆そうですが、自分の人生を生きるのは自分です。
誰かを満足させるために生きているのではありません。
ですから、よくできた子供で学業優秀、品行方正で非の打ち所がなく真っ直ぐに育った自分は嫌いですね。
もう少し反抗期があって、勉強などはしない子供でいた方が自分にとっては精神衛生上よかったのではないかと思うのです。
そんなことを考えていたら、学問だけではない職業に繋がることを学べる環境には興味が湧きますし、今でもそういう人生を歩んでみたい気はあります。
学問しかできないというのも、如何なものかと思うんですよね。
人間は無い物ねだりですから、勉強ができるようになりたいと願う人も多いことでしょう。
私は逆に勉強ばかりではなく、農業の実習をするというような進路に興味が湧きます。
今度生まれてきたら、そういう道に進んでみたいような気もします。
期待ばかりされ、横道にそれたり道草を食うことも許されない進路。
いくら勉強ができても、つまらない青春時代ではありませんか。
勉強は好きですが、期待されて良い子でい続けることを求められた生活はうんざりです。
今が一番自分らしいですね。
障害を受け入れて背伸びすることなく生きる。
それが一番です。