本編の前にお知らせです。
「とまとの呟き」の姉妹版・小説を書いています。
新しい作品「六十年後の未来に来てみたけれど」を公開しています。
今日から第三十六話めを公開しています。
連載形式ですが、途中からでも、一話ずつでも読めますよ。
話の展開がわかりやすくなるように、主な登場人物の解説つきです。
下のバナー「とまと文学部」の文字をクリックすると、小説のページに飛べますよ。
よろしくお願いします。
tomatoma-tomato77.hatenablog.jp
~ここから本編~
タイトルだけを見ると、私が引退するように見えますが違います。
何日か前に、Twitterで仲良くしていた方がアカウントを削除したようです。
何があったのかはわからないので、気になりますね。
私はこのブログとTwitterで活動しています。
これまでも、仲の良い方がアカウントを削除してしまい連絡が取れなくなったことはありました。
Twitterは個人が自分の言いたいことを発信する場ですから、普段のリアルな生活では聞きたくないような暴言、妄言も飛び交っています。
触れたくないような醜い言葉を嫌でも見聞きしてしまう。
これがTwitterの負の部分です。
こういうことが嫌になってアカウントを削除、Twitterを引退する方もいますよね。
気持ちはわかります。
私はいまのところ、ネット社会からの引退は考えていません。
本名、住所、職業など素性がわからなくてもわかり合える方々とのご縁を大事にしておきたいんですよね。
意外と主義主張はハッキリしている方ですが、論争はしません。
匿名同士で言い合いをしても意味がないと思うのです。
論争と言えば、Twitterでは政治の問題などについて激しい応酬になる時もありますね。
大まかに右側と左側に分かれますが、外野から見ていると真っ当な論争ではなく、相手を侮辱したり嘲笑したりという非常に残念な争いになっているところもあります。
こういうところが嫌で、Twitterを引退する方もいるのではないでしょうか。
主義主張の違う相手を罵倒したり嘲笑するのは論争ではありません。
こういう部分に嫌気が差し、Twitterを引退する方もいるのでしょう。
主義主張が違うからと言って、暴言、妄言を相手にぶつけることはみっともないですね。
それは右側も左側も同じです。
結局はテクノロジーが進化しても、人間の醜い部分は進歩がないんですよね。
以前もお話ししましたが、主義主張がどうであれ、お互いに寛容さと共感がなくてはなりません。
相手に共感できず、不寛容な枠の中にいるようでは猿と同じです。
それにしても、仲良くして頂いていて急にTwitterから消えてしまった方に何があったのでしょう。
嫌な思いをしていなければ良いのですが。
私はもう少しネットの海を楽しみながら漂流しようと思います。
相手には寛容に。
これこそがネチケットですよね。